風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




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  1. スポンサー広告

理解する心を与えてください。 :: 2015/10/28(Wed)

                         10月の薔薇


                ときに教会共同体というものが重すぎて、
                大都会のど真ん中の匿名性の高い教会に逃げ込みたくなることがある。
                でも、これは自分だけが救われることを求める間違った考えなのだろう。

                そうだ。
                共同体に救われた大きな体験がある。
                逃げ出したいと思うときは、希望を失わずに忍耐しようと思う。

                

 「慈悲の本質は理解する心であり、
                 他人の身体的、物質的、そして心理的苦痛を理解する力です。」
                              ティク・ナット・ハン/「微笑みを生きる」/春秋社



                聖フランシスコの「平和を求める祈り」に倣って、
                私も理解されることよりも、理解する生き方ができるよう、
                神様にお願いし続けたいと思う。
                そんな生き方ができたらと思う。

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  1. 今日の想い

初孫の微笑み :: 2015/09/26(Sat)

小さい手 その時、人々が、手を置いて祈って
 いただこうとして、イエスのもとに
 幼子たちを連れてきた。すると、
 弟子たちはその人々を叱りつけた。
 しかし、イエスは仰せになった、
 「そのままにしておきなさい。
  幼子たちが、わたしのもとに
来るのを妨げてはならない。天の国は、このような者たちのものだからである」。
そして、幼子たちの上に手を置いてから、そこを去っていかれた。
 (マタイによる福音書19章13節~15節/
      「新約聖書」フランシスコ会聖書研究所訳注/サンパウロ)


生まれて間もない赤ちゃんが、ふとした時ににっこり微笑むことがある。
新生児微笑というそうだ。

孫が生まれて、娘が産後の里帰りをしている。大人ばかりで静かだった
わが家は30年ぶりにベビーの居る暮らしが始まり、束の間だが、
赤ん坊の泣き声と大人たちのあやし声で活気を取り戻している。

そして、わが家でも大人たちが
孫の愛らしくふくよかな微笑みに魅了されている。

新生児微笑とは、赤ん坊の感情表現ではなく、
反射のようなものだと聞いた。自分を守るために赤ん坊に生れつき
備わった本能だとも聞いた。赤ん坊の笑顔を見た周りの人が
赤ん坊を大事しないではいられなくなるからだそうだ。

それが本当なら、人間とは何と特別な被造物なのだろうと
心を打たれてしまった。
自分の命を守るために、敵と闘うための何かではなく、
微笑みという本能を与えられて生まれてくるとは。

多くの家庭と同じく、わが家にもそれなりの苦労があり、
家族はそれぞれの思いを生きている。
しかし、自分で移動することもできないほど無力で小さな
赤ん坊の存在が、いつの間にか私たちを一つの部屋に集め、
しばしば見せる天賦の微笑みが、私たちまで微笑みで満たしてくれるのだ。
幸せとは何と慎ましいものなのだろう。

「微笑はとても大切です。
 私たちが微笑することができなければ、世界は平和になることができません。」
(ティク・ナット・ハン
   /「仏の教え ビーイング・ピース ほほえみが人を生かす」/中公文庫)




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  1. 今日の想い

「キリストが透けて見える人」 :: 2015/07/18(Sat)

ゆり 

 「ほかの人の苦しみと触れ合って、
  はじめて悲のこころが生まれてきます。
  悲のこころとは、
  文字どおり、『ともに苦しむ』ことなのです。
  (訳注・英語のcompassionという言葉は、
  com=『ともに』、passion=『苦しみを受けること』
  『受難』を意味します)。」
  /「微笑みを生きる」/ティク・ナット・ハン 著/
   池田久代 訳/春秋社



 久しぶりにティク・ナット・ハンを読んでいたら、
 この一節に目が留まりました。
 思いあたることがあったからです。
 とても大事な友人であるにもかかわらず、
誰かが自分自身の状況を語り始めると、私はなぜか苛立ってしまうのです。
友だちの顔をして連絡を取り合いながら、そして、その話に耳を傾けながらも、
私に訴える人の苦しみに触れていない、
決して触れようとしていない自分を思い知りました。

悲しむ人の涙を見て、黙って、そして控え目にその手に触れる人がいます。
いつも物事を静かに深く受けとめて黙って思いを巡らす人です。
そういう人の存在と行いと「言葉」が、辛い心の人をどれほど慰めることでしょう。

受洗してから40年にもなろうとする私が見ている前で
ついこの間、洗礼を受けたばかりの友だちは、
既に、モーリス・ズンデルの表現そのままに「キリストが透けて見える」人となり、
私の師となっていました。


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  1. 今日の想い

娘が蒔いてくれた種 :: 2015/07/17(Fri)

向日葵 2 数年前に嫁いだ娘が、医師の指示で、
 家でちょっと安静にしている。
 娘婿は忙しい人だが、それでもよく面倒を
 看てくれている。
 そんな2人に少しでも役に立てないかと、
 週に何度か2人の家を訪れている。
 実は家事は苦手で、面倒見の悪い私なのだが。

 感情が不安定だった私のために、幼いときから
 辛い思いをした娘は思春期のある日、
 たった1度の私の謝罪をたやすく受け入れ、
一方的に赦してくれた。今思えば、親からの謝罪の言葉に、むしろ傷つく危険もあったのに。

私は赦すということを娘から学んだ。
その娘が私のために「償い」の機会を設けてくれたように思えて、いそいそと娘宅を訪問している。

そして、訪問のたびに娘と新たに出会っているようであり、
なぜか今は故人となった実家の母への感謝の思いが湧いてくる。
激情型の母で、私はずいぶん傷つき、「母を深く愛しつつ憎む」という関係にあった。

生前の母との軋轢に苦しみながら一生を過ごすものと思っていたのに、
目の前の娘と「和解し続ける」うちに、亡き母とも心からの和解が進んでいることを
噛みしめている。

神様のなさり方はいつも不思議だ。

そして、娘に心からの感謝を。


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  1. 感謝

教会共同体 :: 2015/06/01(Mon)

芍薬、ギガンジューム他 教会共同体には血が通っている。
 だから、温かく人を癒し育ててくれるが、
 その一方で、
 あまりに人間的で面倒臭いところがある。

 「お客様扱い」の時期を経て、
 御父を中心にした家族の一員になると、
 自分が生まれ育った家族以上に
 感情的な衝突を味わうことや
 理不尽さを感じることもある。
 ナマの人間の集まりなのだ。

 受洗したばかりで共同体デビュー後、
 間もない人は驚かれ、
教会共同体という場所が
決して天使や聖者ばかりの集まりではなく、
そればかりか、あまりに人間的な出来事が多いので落胆するかもしれない。

教会共同体は、そんな営みの中で、人をゆるし、自分をゆるす苦しみと共に
神様から自分に託されているものを日々見出だしていく世界なのだと思う。


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