風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




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母の命日 :: 2008/03/28(Fri)

玄侑宗久さんの「アミターバ―無量光明」。
多分、主人公の「私」の娘婿の慈雲さんは玄侑宗久さん自身だと思う。
「私」は、短い余命を知らされないまま入院、やがて亡くなるのだが、
病み、亡くなっていく本人に死を語らせている。
読んでいると、玄侑さんが看病の過程で、
いかに「お母さん=私」を丁寧に見つめ、見守り続けたかが察せられる。

亡くなる頃の私の母も、見舞いに行くと、この「私」と同じようなことを、
度々話していた。母にしか見えない誰かと話す体験をしているようだった。
更には、私が病室に居ないときも、そこに居ない私と大きな声でお喋りするので、
同室の人から苦情があったらしい。

亡くなって、今日で3年。昨年、三回忌をやったから、
三周忌というのはやらないらしい。
カトリックの私は、真言宗のしきたりが分からないから、
今日は心を静かにして、ロザリオを繰る。
母の魂も、死後も確かに存在して、時々、私の様子を
見に来てくれたりしているのだろうか?
できれば、私の気持ちまで読み取ってほしい、と願う。
この世での肉体から自由になって、
黙っていても、お互いをすっかり理解できるようなら、
それまでの気持ちの行き違いも払拭されるだろうに。


                    小さいいのちの仕事


                    命日に、
                    母のための祈りの後で、
                    いのちの
                    小さな仕事
                    ひとつ。

忘れてはいけない大事なことを書き忘れました。
母は、亡くなるぎりぎりまで、意識も失せ、
まるでもうあちらの国で安らぎ始めたのかと思われた瞬間まで、
「お母さん、まだ待って、○○ちゃんが、まだ来ていないのよ!」
と呼びかけると、直線になりかけていた脈拍が持ち直したものでした。
そして、その「○○ちゃん」が到着するのを待っていたかのように、
静かに静かに息を引き取りました。

もしも、重篤な患者さんを見舞うとき、
その患者さんが、いかに意識がないように見えても、
患者さんには、そばに居る人々の、
どんな会話も聞こえているのかもしれません。
患者さんにとって心ない内容となる話は慎みたいものです。



テーマ:詩・ポエム - ジャンル:小説・文学

  1. 今日の想い
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