風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




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「忘れる」ということ・その3 :: 2008/06/26(Thu)

マッダレーナのように、自分が人々の不幸の原因だと自責の念に駆られたり、
ついつい誰かを傷つけてしまう自分の弱さに悩んだり、
過去の何らかの失敗を引きずっていたり、
今日、誰かに優しく接することが出来なかったり…。

そんな自分自身の暗い部分を感じて、許されたい、
あるいは許したい、けれど許せない、と苦悩している人が、
「わたしは忘却である。あなたの過去は問わない。」
と語りかけられたら、ほっとするだろうと思います。

まあ、それが、私たちクリスチャンが慕う「イエスのみ心」なのだと思います。
しかし、「人」というものは「どうしようもない」存在で、
たとえ神によって許されても、
なおも自分は、許さなくてはいけない誰かを許すことができずに苦しんだり、
同じような失敗を繰り返して、一生を過ごすのかも知れません。
きっと、そうなのでしょう。

ところで、そういった「罪ある自分」を、まったく意識しない人も、
この世には居ることを、おめでたい私も50才過ぎて、やっと認め始めています。

そればかりか、立派な大人なのに、誰かを陥れるために、
その誰かの「あったか、なかったか」、分からないような過去を、
わざわざ掘り返そうとする人もいるのですね。
そして、掘り返して見つけたものを、あちこちに触れ回ったりするのですね。

人の子ですから、カトリック教徒も例外ではないでしょう。
いやいや、カトリック教徒であればこそ、
なおさら注意を怠ってはいけないのだと思います。

それにしても、愚かなこと。何たる時間の浪費。

誰かに許されること、誰かを許すことの苦悩から解放されるには、
心の中に、
「わたしは忘却である・・・。」
という言葉を、生涯、日々、繰り返して聴くべきなのかもしれません。

人智を超えた存在の
「あなたの過去は問わない、忘れる。」
という宣言を、受け入れ、信じようとする人は、
きっと、それからを、「ゆるされた者」として歩むはず・・。
そのために安心しすぎて、厚顔無恥な人になったりはしないはず・・。

それでも、ジタバタしてしまいますし、
その「ジタバタしていること」もまた、許されて良いのだと思ったりするのです。
(*_*)・・・・・(#/。\#)

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