風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




スポンサーサイト :: --/--/--(--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


  1. スポンサー広告

私が今よりももっと愚かだったころ :: 2013/06/28(Fri)

祈りの朝  その昔、私が今よりももっと
  愚かだったころのこと。

  私はいつも、神さまに
  恨みがましく不満をぶつけていた。
 「あなたは、ほんの気まぐれに、
  私という
 『この世で最も不要な存在』を
  お造りになった」と。

生まれつきのような生きづらさが、私の内的生活を侵し続けていたのだと思う。

豊かな友情に包まれた兄が羨ましくてならなかった。
私を愛し過ぎた母と祖母の教育的配慮から、私は幼いときから、
友だちを自由に選ばせてもらえなかった。
強烈な孤独感は長い間私を苛み、私は自分が母親の立場になっても
自分を大事に感じたことは1度もなかった。

そんなでありながら、妻となり母親となった私は、強い「置き去られ不安」から、
毎朝、家族を送りだすとき、必ず全員の無事な帰宅を願って祈ったものだった。

「神さま、今日も1日、
 ◎◎さん(夫の名)と、◎◎(娘の名)と、◎◎(息子の名)をお守りください。
 家族に何かがあるときには、私を身代わりにしてください」と。

そして、次の瞬間、ひるがえって思った。
「『神が気まぐれで作られた、この世で最も必要のない存在』だと訴える私が
 身代わりになることを、神さまはお喜びになるのだろうか」と。

今の私は思う。
「愚かなまでに私たちを慈しんでくださる神さまだから、
 きっと私のような者が身代わりになったとしても受け入れてくださったことだろう、
 いや、それどころか、神さまは、こんな私が身代わりにならなくてもよいように、
 家族を今日まで守り抜いてくださっている」と。 

ヨハネによる福音書の 15章には、
「人がその友のために自分の命を捨てること、これよりも大きな愛はない。」
と書かれている。

「友のために捨てる自分の命」とは、
その命が神さまからの贈り物である事実を受け入れ、
それゆえ、すべてをかけて大事にしているからこそ、
友のために差し出すときに大きな愛になるのだと思う。

しかし、神さまは、神さまに背を向け、すねて愚かな不満を口にした
わがままな私さえも赦し抜いて、こんなにも大事にしてくださるのだ。

ある日、そのことをはっきりと自覚したとき、
私は強すぎる愛情を私に注ぎ尽くした大人たちとも霊的に和解できたのだ。


マリンクローバーいつも、応援のクリックをありがとうございます。心の励みになります。マリンクローバー
にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

テーマ:宗教・信仰 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 感謝
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。