風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




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わが主、わが神よ :: 2013/05/10(Fri)

  西洋美術館

     数日前、別の友だちに言われました。
    「やなぎはっかさん、ずいぶん変わられたわね。
     聖霊に導かれている感じね」と。
     この友だちがいなかったら、私は今でも小さなことに傷つき、
     落胆し、自暴自棄を繰り返したことでしょう。
     その友だちが、そう言ってくれたのです。

     他人の目には取るに足りない失敗を、
     取り返しのつかないことと感じてしまう…。
     そういう種類の人がいます。
     自分を振り返りますと、
     私は子どものときからそういう類の一人でした。
 
     しかし、神さまはまことに面白い方で、
    「私にしてみたら一大事!
     たった今、ここで死んでお詫びをしなくてはならない!」と、
     大真面目に悩んで寝込んでしまった…!
     そんな失敗によって、
     私に「巨人の足取り(幼いイエスの聖テレーズの言葉)」
     で歩むことを促したのでした。

     それは、教会で行なわれた、誰にとっても生涯に1度の
     大事な場面でのことでした。
     後で聞いた話では、それが失敗だと気づいた人は居なかったそうです。
     その「失敗」を、私が一人、(傍から見れば)大袈裟に受けとめ、
     死ぬの生きるのと思い悩んだわけです。

    「自分なんか、やっぱり駄目だ」と
    涙を流しながら、やがて私は気づきました。
    あのとき、「いいところを見せようと思っていた」自分に。
    こうして大騒ぎをすれば、誰かが私への同情のうちに、
    私に非がないことを保証してくれることを期待していたことに。

    それは一つの大事な典礼の中でのことでしたが、
    当時の主任司祭が私を諭しました。
   「あなたなんかの失敗一つで、どうにかなってしまうほど、
    典礼は安っぽいものではありません。
    『私のために』と責任を感じるのは、あなたの傲慢ですよ。」と。
    それは私が自分の完全主義、完璧志向に思い当たった瞬間でもありました。

    どうしてなのでしょう。
    そのときから、あれほど傷つきやすかった私が、
    自分の内側から湧いてくる確かな力を感じ、励まされ、
    気がつけば、くよくよすることを忘れていたのです。

    そして、「生きていく価値がない」と思っていた自分のことを、
    いつの間にか赦し、好きになっていたのでした。
    そうしたら、あれほど人間嫌いだった私に、
    友だちが次々と与えられました。

    神さま、教会の群れを嫌っていた私に、
    あなたは何人もの友をくださり、友を通して、
    あなたの慈しみを示してくださいました。
    
    わが主、わが神よ。

 カリタスジャパン

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テーマ:宗教・信仰 - ジャンル:学問・文化・芸術

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