風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




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いつも新しい風が :: 2013/04/19(Fri)

2010 はなみずき  キリスト教の教会には天使のような人ばかりが
  居ると思っている人は、どの位いるのだろうか。

  そう思っている人には期待はずれかもしれないが、
  教会というところは、集まっている人の、
  実に人間的な、あまりに人間的な部分が
  あからさまになる場所でもある。

  それは、教会という場所が、自分を罪びとと
  認めた人々の集まりなので、人間の弱さが表に
  出やすいためなのかもしれない。

  しかし、教会はそういう人々が赦しを求めて

集まる場でもある。
そして、神に赦されたと確実に感じ取った人が、次には人間と人間の間で
赦し赦されることに希望を置くようになる。弱い部分をたくさん持ちながらも、
教会に集まる人々は赦し合いながら、支え合うことを目指して共に歩む、神と共に歩む、
これが教会のあり方だと思う。

神様は、私たち未熟な人間の行ないを、親が赤ん坊の行動を見守るように寛容な眼差しで
見守り、待っていて下さる方である。
教会にはその力があふれている。教会にはお互いの小さい失敗をおおらかに受け止める
大きさがある。本来はそうであるべきだ。

ところで、「言葉」は人に何かを伝える手段であり、相手を打ち負かし抑え込むために
与えられたものではない、と聞いたことがある。
だが、実際には教会にも、意思伝達の手段として神から与えられたはずの「言葉」を、
相手を攻撃するための武器にする人がいる。残念なことだが。
そういう人々が、力に任せて大きな声で自己主張に終始すると、
神様は教会における居場所を失うのではないだろうか。
神様が何とかして下さる前に、その人が語り、行動してしまっているから。
神様の出る幕がない。

時として目に余るほどのその有り様には、同じ共同体の一員として悲しみを
覚えないではいられない。神様は平和と一致を望んでおいでなのに、人間というものは、
こんな小さな世界においてさえ、いつも分裂の危険と背中合わせだ。

神様がその力を十分に発揮できるように、教会共同体にはいつも新鮮な空気や生きた水が
送り込まれるべきである。いつも新しい風が流れ、常に生まれ変わってほしいと思う。 
一致と平和はそういう生きた共同体でこそ、実現可能なのだと思う。

このために私たちの世代にできること。
私たちの後を引き受けてくれる若い世代に、知っていることを惜しみなく伝えること。惜しみなく。
伝えたことが若い世代にとって抗しがたい重荷、破ってはいけない掟にならないように
気をつけながらも、知っておくべき情報はきちんと伝え、その後は、温かく応援したい。
教会共同体の風通しを良くして、若い世代が活躍しやすい場であることを願う。
そして、老いていく私は私で、
神様が、その時々の私にも出来る奉仕に気づかせて下さるように祈りたい。

 カリタスジャパン

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テーマ:宗教・信仰 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 祈り
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