風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




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「居場所」に立ち続けるしたたかさ :: 2010/07/29(Thu)

水と聖霊 少し前まで、過去と未来に
 思いを馳せて、
 「今このとき」
 うまく生きられず、この世で上手に
「呼吸すること」ができなかった私が、
 いつの間にか、あの得体のしれない
 不安な気持ちを忘れて、
 些細な出来事に取り乱すこともなく、
 こうして強かに
 立っていられるようになりました。
 
 思えば不思議なこと。
 どうしてなのかと、ときどき考えます。

 そう。
 ときどき、です。
自分を眺め、自分について絶えず
あれこれ考えている時間が、私にはなくなりました。
何と心地よい瞬間瞬間なのでしょう。ありがたいことです。

日々、自分について絶えずあれこれ思い煩い、
些細な出来事に取り乱していたあの頃、
私は、自分が正しく理解されることに躍起になったものでした。
自分を分かってほしいと、くどくどと説明したい衝動に駆られたものでした。
けれど、誰もが自分の日々のあれこれに忙しいのが当然のこの世に、
私の「言い訳」や「自己顕示」に時間を取れる人などいるでしょうか。

「強い感情が湧きあがっても、一旦自分の胸に納めてみること」と、
アドヴァイスされたことがありました。
rosario b
小さなことにプライドが傷ついて、
心が乱れそうになったとき、
…カトリック教徒には「ロザリオ」
という単純な祈りがあるのですが…
イエスの生涯を思い描きながら、
ロザリオを爪繰り、
じっと祈って、そのときどきの感情を
心に納めることにしました。
そんな日々を重ねました。

そして、気づきました。
「人間は完全に造られたわけではないのだから、私がこの人に、
 あるいはあの人に、理解されなくてもよいのだ。」
と。

あのアドヴァイスを下さった方への感謝の念を忘れてはいけませんね。

そして、気がつけば、私は決して完全に理解されてはいないけれど、
「お願いしてもいいですか?
「ありがとう
「ぜひ来て下さい
「私のことも誘ってくださいよ
こんなふうに、声をかけられるようになりました。
私なんかでも居てもいい…そんな居場所が確かに足元で固まりつつあるのですね。

そして、その居場所が、私にとって親しみのある場所になればなるほど、
家庭の在り方と似て、それなりの葛藤も生まれます。
そんな当たり前のことに潰れない強かさを、
今の私はいただいていることを感じています。

54歳。「育ち遅れ」の感はありますが。


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