風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




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「あなたはわたしの愛する子」 :: 2010/06/06(Sun)

千日小坊 この拙いブログに
 お越し下さる
 皆さま、
 更新が滞りまして、
 申し訳ありません。

 また、私の誕生日を
 あたたかいお言葉で
 お祝い下さいまして、
 本当にありがとう
 ございました。

 心から、感謝申し
 あげます。

おかげさまで、忙しい準備の日々の本番は次の日曜日ですが、
ようやく人並みの睡眠時間が戻ってきそうです。
しかし、そんなイヴェントとは関わりなく、日常の一部として
聖書の分かち合いは続きます。とうとうイザヤ書まで、読み進みました。

 

 たとえ、お前たちの罪が緋のようでも
 雪のように白くなることができる。
 たとえ、紅のようであっても
 羊の毛のようになることができる。
 お前たちが進んで従うなら
 大地の実りを食べることができる
              イザヤ1:18、19


「あなたは わたしの愛する子」(マルコ1:11
新約聖書には、神がイエスにこう呼びかけていらっしゃる場面があります。
これは、イエスばかりではなく、私たち1人1人への呼びかけでもある、
と、教えられたことがありました。

「あなたは わたしの愛する子、やなぎはっかさん

神は私にも、常に、こう呼びかけて下さっているそうです。
神は私たちを「わたしの愛する子」と呼ぶのです。

それは、旧約の時代からも同じことでした。
神は、ご自分を繰り返し裏切る民に激しく怒り、罰を与えながらも、
いつも神の民をご自分のもとに呼び戻したくてたまらない方でした。
「お前がたとえ過ちを犯したとしても、
 わたしに立ち帰るなら、わたしはいつでもお前を迎え入れる。
 お前の行いは一切忘れるよ。だから、戻っておいで。」
私たち人間は、傷つけられたことを容易に忘れられませんが、
神は、ご自分を冒涜された者も、ご自分のもとに立ち返ったなら、
過去の行いを敢えて忘れて下さるのです。

神にとって罪とは、神から離れることなのだと思います。

アハズという南ユダ王国の王さまがいました。
当時の南ユダ王国は強国アッシリアの脅威にさらされていました。
南ユダ王国の兄弟国・北イスラエル王国と近隣の国・ダマスコは、
アッシリアに対抗してアハズ王と同盟を結ぼうとしましたが、
アハズ王はむしろアッシリアに保護を求めました。

神ははイザヤを通して
「恐れることはない、静かにしていなさい」
と、ダマスコと北イスラエルの進軍に激しく動揺する若いアハズ王に
語りかけたのに、彼は目に見えない主には頼ることができずに、
目に見え、耳に聞こえ、手で触れることのできる、地上の力、
アッシリアを頼り、アッシリアの偶像崇拝に染まります。

しかし、どうしてアハズ王を笑えましょうか。
大軍が迫っているというような大変な場面で、
自分がアハズの立場だったら、「静かにしていなさい」という、
重大な決断を迫られて、「聞こえもせず、見えもしない神を信じて、
命を預ける覚悟」が自分にはあるのだろうかと考えます。

でも、仮に私が、アハズと同じような大罪を犯したとしても、
神は、私が神に立ち返ろうと思い立ったその瞬間から、
きっと、私を赦してくださいます。
「これは、わたしの愛する子、わたしの心に適う者」と。(マタイ3:17


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テーマ:宗教・信仰 - ジャンル:学問・文化・芸術

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