風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




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母の日に。 :: 2010/05/10(Mon)

2010.子どもたち、ありがとう。「お母様方へ
良い贈り物、
完全な賜物はみな、
上からくるのです。
(ヤコブの手紙1:17)」
~昨日、私たちの教会の
主任司祭がミサの参加者に
贈って下さった栞より~


昨日は「母の日」。
ミサの中で、私たちの
教会の主任司祭は
母親であるすべての人
のために祈られた。
もちろん既に亡くなった母親たちのためにも。

母が私に残した言葉一つ一つに、未だに悩むことが多いのに、
なぜか母のことがふっと胸に浮かんで、目頭が熱くなった。

どうしてそんな反応が起こったかの理由は分かっている。
最近、ブログを通して知った方の過去の記事を少しずつ読ませていただいている。
成人したお子様がいらっしゃるようで、私より少しお若い方だ。
数日前に開いた記事には、独立して親の手元から離れて行かれた
お子様への思いが綴られていた。
そのための身を切られるような寂しさを、その方は隠すことなく
吐露していらっしゃり、それはまっすぐな祈りの言葉となっていた。

私にはこの体験がまだない。頭の中では、大事な子どもたちの自立を願い、
彼らが親元を離れることを、子どもたちを神にお返しする覚悟などを考えている。
あるいは、カリール・ジブランの著作、「預言者」に書かれた言葉などを
頭の中で繰り返して、自分に言いきかせている。

「あなたは弓です。その弓から、子は生きた矢となって放たれて行きます。
 射手は無窮の道程にある的を見ながら、力強くあなたを引きしぼるのです。
 彼の矢が遠くに飛んで行くために。」
            ―カリール・ジブラン「預言者」/至光社



「私に寂しさに耐える力があるのだろうか」と未来を思う一方で、
遠い昔、「私が嫁いだ日、母は何を感じたのだろうか。」とも思った。

窮屈な「卵から抜け出ようともがい(「デミアン」/ヘッセ)」て、
解放されたかのような顔をして、涙一つこぼさずに私が嫁いで行った日、
母は何を思っていたのだろうか。

お互いに自分の気持ちを素直に表すことができない母と娘だったから、
それを今になって確かめることはできない。
私はそれを「沈黙」に耳を傾けるように思いめぐらすしかない。
だが、きっと、私の心の芯で、何かが氷解を始めたような気がする。


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