風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




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わたしは激しく心を動かされ、憐れみに胸を焼かれる :: 2010/05/07(Fri)

2010.hahanohi 「ああ、エフライムよ、
  お前を見捨てることができようか。
  イスラエルよ、
  お前を引き渡すことができようか。
  わたしは激しく心を動かされ、
  憐れみに胸を焼かれる。」
         ~ホセア書 11章~


 今日は聖書の分かち合いの日で、
 前回に引き続いて、ホセア書
 8章―14章を
 グループで読みました。

私は前回を振り返って、
「自分の身内にホセアの妻のような配偶者に苦しんでいる人がいたら…。」と、
想像しながら、皆さんの分かち合いに耳を傾けていました。

「無理じゃないの?離婚しても仕方がないんじゃないの?」から始まって、
ついには、何度も不道徳な行いに走る妻を繰り返し赦し抜く人に呆れ、
「だから、あなたたちは破綻しているのよ。何度言ったら分かるのよ。
 もう、勝手にしたら?」と怒り出すのかもしれないと思いました。
怒り出すならまだしも、そんな虫のよい生き方をする妻を
あくまでも赦そうとする人の「だらしなさ」を許せずに、
見捨てて、絶縁するかもしれないなあ、と思いました。

身内、友人、自分を支持してくれた味方を失ってでも、不実の妻を赦し抜く「慈愛」。
今日の分かち合いの中でのある方の言葉が心に響きました。

その方は「他の預言者と違って『神に呼びかけられ、召し出された体験』がなかった
ホセアにとっては、『主の愛』と、自分が妻・ゴメルを思う愛とが同じだと思ったことが
『神に呼びかけられ、召し出された体験』だったのではないか」と仰いました。

だとしたら、主の愛はご自分が選んだ民のためなら、
他のすべてを失うことさえ覚悟した愛なのかもしれない、
と思ったとき、実感に近いものを感じました。

さて、前回までは妻ゴメルの不貞に苦しむホセアの、それでもゆるしに至ることが
話の中心でしたが、今週の箇所は親子の情を強く感じる箇所でした。

ところで、うろ覚えなのですが、大昔に読んだ本の中で、
遠藤周作は旧約の「裁く父なる神」、新約の「優しい母なる神」というような書き方を
していたような気がします。まるで旧約聖書と新約聖書の神が果たして同じ神なのか?
というほどの変貌を遂げたように感じられて、
自分の中で折り合いがつかないまま、今日に至りました。

しかし、今週は、神がイスラエルを愛してやまない描写にばかり気持ちが
惹かれ、今まで読んだ旧約のどの箇所にも増して、旧約世界でも新約世界でも、
神はやはり変わらず、ただひたすら、
限りなく慈愛に満ちた方であることを確信しました。

その上で、神と人との関係は「親の心、子知らず」みたいだ、と感じました。
自分が大切に思っている対象を案じて、焦がれる思いでいるのに、
それが相手に伝わらない神の虚しさ、悲しさ、寂しさ、その裏返しの怒り、焦り
について、さまざまに思いました。
さらには、自分を振り返り、「子どもの立場の自分」、「親の立場の自分」の
いずれについても色々な場面が心に甦りました。

それにしても、神からこれほど大事に思われているにもかかわらず、
人間的な焦りから、確かに私は、神に依り頼むことを忘れ、虚しく策を弄しては、
案の定うまくいかずに、落胆して周囲に心を閉ざすことがあります。
「心を開くこと」は一つの大きな力だと感じるのですが、
その力をいつも神に求め続ける私にしてくださるよう、祈ります。


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