風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




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エポペ・美しい冒険・その2…「何ができるかな」 :: 2010/04/27(Tue)

聞いたお話や教えがその後の自分にとって意味があるかについて、
私は、「聞いていたその時間が終わったあとも、聞いて心にかかったお話の
断片の一つ一つが内面で勝手に動き出すか」をバロメーターにしている。
昨日、エポペで伺ったお話も、また、エポペに満ちていた雰囲気も、
これからしばらくの間、気がつくと私の心の中で反芻を繰り返すのだろう。

以前にも書いたが、ある友人の気づきの通り、神は小さな存在に
過ぎない私たちに、大々的な宣教活動など求めていらっしゃらない。
1日何人を求道者に導くようにノルマを課していらっしゃるはずもない。

神にとって大事なのは、私たち1人1人がいかに神に忠実か、ということ。
きっと、そうだ。

「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、
  あなたの神である主を愛しなさい、
  また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」(ルカ10:27)

宣教というのは、全世界をキリスト教徒でいっぱいにすることではなくて、
私たち1人1人が、自分の力に応じて、心をこめて、自分のそばにいる人の
心に寄り添うことだと思う。キリスト教徒を量産することではないのだ。

カウンター越しのマスターやスタッフの方が、ゆっくりとお話に付き合って
下さったり、また、マスターもお客さまもエポペでの30年の間に来店された
お客様を、実によく覚えていらっしゃったり…。
知らない客同士、控えめにおしゃべりに参加できる緩やかさ。
一方では自分の静かな時間をじっくりと楽しんでいらっしゃるお客様も
いらして、それはそれで善き雰囲気を醸していた。あの安らかさ。

「教会という場所がちょっと忙しすぎるかなあ。」と、私たちの教会を顧みた。
悪気はないのだけれど、初めて教会にいらっしゃった方に、後々まで気を配り続ける
ゆとりがなかったり、転入されたばかりの方に居場所を提供できなかったり…。

教会の群れを離れて、籍のある教会には決して足を運ばなかったかつての寂しさが
心に甦った。あの寂しさを長い年月にわたって味わったのは、
今日、赦されて働かされているこの日のためなのかな。

小さい私たちにできそうなことについて、
マスターは具体的なアイディアをいくつか示して下さった。
「褻(け)と晴(はれ)」という意味で、日本人には
「教会は晴の場である」という潜在意識が働いてしまうそうだ、と仰っていた。
確かにそうかも知れない。
それに別の意味で、教会という空間の中で、弱さをさらけ出したり、
本音を語ったりするのは、難しいことかも知れない。

うちのオトウチャンもOKを出してくれて、
憧れのエポペでくつろぐことを第一の目的にして伺ったはずなのに、
その信じられないほど安らいだ場所で、ついつい、
我が教会のことを考えてしまった。

つまりは、その楽しさを誰かに分けたくなったのだ。


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テーマ:宗教・信仰 - ジャンル:学問・文化・芸術

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