風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




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父を思う・その2 :: 2008/03/23(Sun)

進行が穏やかではあるけれども、体力減退と高齢の問題から
積極的な治療を望めない癌患者である実家の老父。
その父に、痛みのない生活を最後までさせてあげたくて、
緩和ケア病棟のある病院を勧めることに、私はずっと焦っていました。

父が入院先として望んでいる病院は、現在父が通院している病院で、
亡き母の最後の入院のとき、「見込みのない患者」になった母に
ずい分と寂しい思いをさせた地方の大病院です。
父もいつかは「見込みのない病人」として、
同じ思いを強いられるのでしょうか。
寂しかった母の姿と共に、病院に医療を任せている家族としての
胸に秘めた怒りが昨日のように甦ります。

それでも、父は、その病院との長年の「お付き合い」を大事にしたがります。
「今まで、お世話になったから。」と。・・・そんな父です。

ある折に、死と向かい合っている患者さんたちの
精神的なケアのボランティアに関わって来られた方が、
「日本の緩和ケア医療は、まだ、発展途上かもしれません。
 周囲の人は、『苦しむことに意味がない』と思ったり、
 『患者が苦しむ姿を見ることが辛い』と思いがちですが、
 人間として、苦しむことにも意義があるのかもしれません。」
と仰ったのを聞きました。

数日間、その言葉をよく考えた後、
私は緩和ケアのことで焦るのをやめました。
そのことで父の意思と「闘う」ことをやめました。

信頼していた病院で、
最後の最後に孤独に追いやられた母の姿を目撃した上で、
なお父の意思を尊重するということ。
実家は遠くても、何らかの形で、これから「共に」どう「生きようか」と、
問い直しつつ、関わることが、私に求められているのかもしれません。

しかし、実際に父とどう関わっているかを省みますと、
ああ、まだまだ、私はこころが弱いです。

私は、まだまだ、父と共に苦しんでいません。


テーマ:いま想うこと - ジャンル:日記

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