風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




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「神の愛とキリストの忍耐とを」 :: 2010/04/08(Thu)

         今年の六本木1丁目付近の桜です。↓ 
         roppongi.jpg

いつも気にかかるのに、心にブレーキがかかって、ある人に対して、
どうしても素直になれないことがある。
「どうして、その程度のことを言われたからといって傷つくのかなあ。」と、
私の内面の大人になれない部分をたしなめたいが、
思った通りに感情は動かない。

年老いた修道女がいる。
異動で25年も関東を離れていたが、それでも手紙で電話で、もう30年以上の
お付き合いになる。
30年以上も前から、この方は私の母親役を自認している。私の母がぴんぴんしていたときも。
私が、自分の内的な傷に気づかずに、母がいかに理想的な母親であるかを、
この方に語り聞かせていたあの頃からも。

しかし、残念なことに、この方は自分の子どもを育てた経験がない。
マニュアル通りにことが運ぶわけではない、わが子との感情的な衝突ひとつ体験せずに、
大好きな読書で培った、あるいはどこかの講話で獲得してきた、目と耳で取り入れた情報を
体験と勘違いして、私が何でも遠慮なく相談を持ちかけることを期待してきた。
そのアドヴァイスのほとんどが的外れだった。
因みに、キリスト教で言う「罪」という言葉には、もともと「的外れ」という意味があったと
聞いている。

心に自覚のない傷を持っている私は、そういう者としての方程式通りに
その期待に応えなければと努めたものだった。
決して威圧感のある人ではなかった。むしろ、物静かで、かわいらしい人である。
もしかしたら、この人を傷つけてはいけない、という気持ちが私の中に起こるのかも知れない。
私はクリスチャンなのだから、と。

この方が、ほぼ四半世紀ぶりに年老いて東京の修道院に戻ってきた。

あのころは、実家の父は癌を病みながらも普段の日常生活を送っていて、
娘としての義務感、罪悪感に気持ちを苛まれ、
アクセスの悪い実家にそうそう帰ることもできず、
わが身の立場の不自由さを恨めしく思っていたのだ。
せめて、このシスターに孝行すれば、孝行してあげられない父が実家で大事に
されるのではないかしら…と、シスターへのお土産などを携えて、老人介護施設と化した
修道院を、呼ばれるままに2週続けて訪れたのだった。

シスターは、平均年齢がすっかり高くなった修道院の施設内を案内してくれて、
他のシスターと顔を合わせるたびに、自分に訪問者がいることを誇るかのように、
私のことを紹介した。
そんな様子に高齢化した修道院の修道女たちの寂しさを感じて胸が痛んで、
状況的に無理だけれど、話だけは伺うつもりで、修道院の一部となっている
老人施設の部分でのボランティアの仕事内容を、スタッフが話すままに聞いていた。

どういうことだったのだろう。どういうおつもりだったのだろう。
シスターがまったく唐突に、スタッフの方に向かって言った。

「◎○さん、気が利かないよ、この子。」

小さいときから、気が利いていることを人一倍求められ、
そのことに疲れ果ててきた私のことをである。
そんな私の心の歴史を知らなかったとはいえ、その言葉に自分の内面の何かが
切り刻まれた想いがした。

それ以来、何となくこの方を訪れる意欲がなくなった。
義務感から訪問を考えるのだが、それだけで心のシャッターが、
ギロチンのようなスピードで落ちてきて、私の心を遮断してしまう。
この方が骨折して手術を待っていると聞かされても、私の心は閉じたままだった。
もっとも、そのころ、実家の父を訪れる機会が増えてもいたのだが。

昨日、この方にもイースターカードを書きながら、「電車に乗れば1時間もしないで
訪ねていけるのに。」と自分の冷徹さを責めていた。
「生前の父母のところにさえ十分に行ってあげられなかったのに、外面なんかよくして」
という後ろめたさもあった。
老いたシスターへのイースターカードには、訪問できない理由ばかりを書き連ねている。
そんなことで気持ちを重くしていたとき、ふっと思った。

確かにあのとき、私は失礼なことを言われたのだ。私は怒ってもいいのだ。

こうして、イースターカードを忘れずに書いていることだけでも、私は自分を認めてもいいのだ、と。

キリスト者としては、もう少しの成長を期待されるのかもしれない。
でも、私は自分を赦せるまでになったのだ。

シスターがどんなにご高齢でも、この世でのお互いの時間がどんなに残っていなくても、
今はまだ、お顔を合わせてお話しする軽やかさが私にはない。
会いに行けない代わりに、私はシスターのために祈ってみよう…。

   「どうか、主があなたがたの心を導いて、
      神の愛とキリストの忍耐とを持たせてくださいますように。」
                        ~Ⅱテサロニケ 3:~ 


                 「あなた方の心」とは、この私自身の心のことである。

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