風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




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「 父がお与えになった杯は、飲むべきではないか」 :: 2010/04/02(Fri)

        ↓江川せせらぎ道・桜のプロムナード(全長580m) 2010.4.1.
        江川 桜のプロムナード 2

              2010年4月2日
                聖金曜日の福音書


               「あなたが与えてくださった人を、
                わたしは一人も失いませんでした」
                と言われたイエスの言葉が実現
                するためであった。

               「剣をさやに納めなさい。
                父がお与えになった杯は、
                飲むべきではないか。」
                               ~ヨハネ18章~



信頼している人に、自分を理解する能力がないということ。

自分を信じると真剣に誓った人から、裏切られるということ。

信頼してきた身近な人びとに、自分を弁護する勇気がないということ。

「愛して、この上なく愛し抜いた」人びとから、
死に渡されようとしている自分のことを「知らない」と言われるということ。

これと同じ想いを、気づかぬ間に、私も誰かにさせているかもしれない。

この世にいらっしゃった間、そのすべて見抜いた上で、
人間のそんな弱さを知り抜いた上で、
イエスは弟子たちを愛し抜かれた。

今、弟子だと自称するこの私のことも。

「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。」
 ペトロは、「違う」と言った。
 僕(しもべ)や下役たちは、寒かったので炭火をおこし、
 そこに立って火にあたっていた。
 ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた。

 シモン・ペトロは立って火にあたっていた。
 人々が、「お前もあの男の弟子の一人ではないのか」
 と言うと、ペトロは打ち消して、「違う」と言った。

 大祭司の僕の一人で、
 ペトロに片方の耳を切り落とされた人の身内の者が言った。
「園であの男と一緒にいるのを、わたしに見られたではないか。」
 ペトロは、再び打ち消した。

 するとすぐ、鶏(にわとり)が鳴いた。
                                    ~ヨハネ18章~



後記:>弟子だと自称するこの私のことも。

   「イエスの弟子を自称する権限」など、
    私にはありませんね。
   
    「わたしたちが神を愛したのではなく、
     神がわたしたちを愛して、
     わたしたちの罪をつぐなういけにえとして、
     御子をお遣わしになりました。
     ここに愛があります。」(ヨハネの手紙Ⅰ)


     私を弟子にしてくださったのは主であり、
     私が弟子になったのではありません。 
    
さて、本日、真面目なカトリック信徒ほど、腹ペコです。
今日、「聖金曜日」は、四旬節の始まりの「灰の水曜日」と同じく、
大斎・小斎を守る日です。
身近にカトリック信徒がいらっしゃったら、
どうか、心やさしいその人の「引きつった笑顔」のワケを察してあげてください。


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テーマ:宗教・信仰 - ジャンル:学問・文化・芸術

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