風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




スポンサーサイト :: --/--/--(--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


  1. スポンサー広告

自分を赦すということ。 :: 2010/03/28(Sun)

c.jpg
 日ごろ、仲良くして下さっている
 レインボーさんがご自分のブログに、
 「記憶の意味」と題した記事を
 お書きになりました。


 拝読してすぐに
 かつての師の一つの言葉が
 心に甦りました。


 今までいろいろな方に
 お話ししているので、
 もしかしら、ここでも
 過去にご紹介したかも知れません。
 
それは、ある観想修道会が開いていた日帰り黙想会でのことでした。
短い瞑想の指導をされるとき、その神父様は、おおよそ次のように仰いました。

「過去を振り返って、自分の嫉妬や悔しさや、その他、
 良くないと言われる感情に基づいて行動していたことがあったとしても、
 そのことで自分を責めないでください。悪いことだと思わないでください。

 その時、あなたにとってはその感情が必要で、
 あなたはその感情に支えられて、生きていたのかも知れないのです。

 今、過去のそういう感情に気づいて、
 もう、今の自分にそれが必要のないものだということに気づいたなら、
 感謝を込めて、その感情を大地に戻してあげましょう。」



レインボーさんがお読みになったご本には、
 
 記憶というものは、
「その時楽しいか嫌かというよりも
 現在の自分にとってその出来事が何らかの意味を持っている場合に
 記憶として残っていくといえるのかもしれない。」

ということが述べられていたそうです。

それを読まれたレインボーさんは、それまで苦々しく消し去りたい思い出だと
感じてきた過去の記憶の中に、実は辛いことばかりではなく、
あたたかい出来事がちゃんと隠れていたことに思い当たったというのです。

この記事をプリントアウトして、私はもう1度、レインボーさんのお話を味わいました。
そして、

>私にとってあの場所は、ある意味人生を相手にたった一人で闘っていた場所。

>今振り返ると、私はこうまでしてあの場所を訪ねてみたかったのですね^^

>思い出話に花が咲き、懐かしさに胸が震え・・・
>また、あの頃の自分をねぎらい温かい涙を流せた。。。

>決してあの場所は私が一人で闘っていた戦場では無かったのだと。

>だから
>記憶に残っている事は、現在の私にとって何かしら意味のある事なのかも知れない


という部分にラインマーカーで線を引きました。

確かな足音を聴いているようで、
私の心にも、あたたかなものが流れてくる思いがしました。

母が私に示した愛情は、どうせ自己愛の裏返しなのだ、
という失望感と痛い記憶の内側に、レインボーさんが発見したような
あたたかい事実が隠れているのだろうかと思いました。

若いときから、私の自己評価の低さについて、
何人もの方から「自分を赦しなさい。」と言われたものでした。
私には理解しがたい言葉でした。

けれど、私の瞼にふっと、
記憶の中で、過去のそのときそのときをあたたかい想いで過ごしている
「幼いレインボーさん」あるいは「学生時代のレインボーさん」が、
今のレインボーさんを赦している光景が浮かびました。

ご自分のとても大切な出来事を、読者の私たちに分けてくださったレインボーさん。
もしかしたら、このお話は、私の回復にとって重要なはずの「自分を赦すということ」
「知る」よすがになるのかも知れません。


マリンクローバーいつも、応援のクリックをありがとうございます。心の励みになります。マリンクローバー

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

banner2.gif c_02.gif



テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 未分類
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。