風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




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子どもたちから贈られたもの その14 :: 2010/03/23(Tue)

開花  連休のよく晴れた1日、
 初彼岸の父のために
 実家に墓参りに帰った。

 兄が、父と母が遺した
 さまざまを
 すっかり整理してくれて、
 母のノートを渡してくれた。

 妻業、嫁業、母親業、
 主婦業のそれぞれを
 ほぼ完ぺきに
 こなしてきた母に、

生け花以外に趣味がなかったのは、
母もまた「遊べない」人生を生き抜く人であったことを
物語っているのかもしれない。

そんな母が遺したノートには、
デイサービスに通うようになってから覚えたのか、
数は多くないけれど、俳句が記されていた。
すでに視力の障害が進んでからのノートゆえ、
「解読作業」が必要な句もあった。

そういえば、母が電話で日常の不満を訴えて来るとき、
「あまり悲しいから、こんな俳句を作ってしまった。」と
聞かされたことがあり、そのときは母に潜む意外な才に
驚いたことを覚えている。

ノートには、70歳を過ぎてなお、自分の寂しさに
周囲を巻き込まずには気がすまないような感情が、
連綿と綴られていた。
そして、母の寂しさに巻き込まれて成長した私もたいへんだったけれど、
母自身も生涯、七転八倒の苦しみを味わい続けたのを改めて感じた。

母の心は思い出の世界にまで飛んで、母の両親、すなわち私の祖父母を
懐かしむ句もいくつかあった。
母はこうして思い出や、兄に対する溺愛や、私への過剰な期待によって、
嫁いでから自分につきまとった孤独感を
何とか自分なりにコントロールし続けたのだろう。

いま、ふっと思った。
母は、確かにあの家で孤独だっただろう。
母の理想通りには決して動かず、むしろ図抜けてむずかしい性格の父と
厳しい姑との暮らしは、本当に寂しかっただろう。
…だが、それは、何も知らずにその家に生まれた私の責任ではない。
 私の責任ではないのだ。

しかし、あと10年、20年と時が過ぎて、私が心細さに占領される日が
来ないとも限らないのだ。

†主よ、私の両親をいつも顧みてください。
 両親はそれぞれに、この世で寂しさと、心の傷と、苦しみとを
 十分すぎるほどに味わいました。
 あなたのもとに召された今、この世で味わうことのなかった
 安らぎへと、私の両親を招いてください。

追記:母の手抜きなしの料理は、それはそれは美味しかったし、
   私のセーター、カーディガンなどは母の手編み、機械編みばかりで玄人はだしだった。
   残念ながら、私にはこういう「遺伝子」は受け継がれなかった。 
    

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