風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




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子どもたちから贈られたもの その10 :: 2010/02/04(Thu)

春のはじめ 昭和という長い時代の中頃から
 今までを生きた私たち世代。
 その時代を振り返るサイトが
 たくさんあって、拝読すると、
 それぞれの異なった視点から
 思い出が語られていて興味深い。

 だが、読ませていただきながら、
 取り上げられている
 「思い出の数々」を、私も
 知ってはいるのだけれど、
そのときどきの自分の心の動きが甦らないことの方が頻繁にあって、
正直、愕然とする。
たとえば、私は欲しかったのに、買ってもらえなかった…とか。
そういう記憶が甦らない。大げさに言うなら、「その時代を生きた実感」がない。

じっと振り返ると、家の中で自分の世界を作って、独りで遊んでいる
子ども時代の私の姿が浮かび上がる。
虚弱だったわけではない。家の中という安全な場所で、
家族という安全な人々に囲まれて遊ぶことしか、赦されなかったのだ。
「悪い子になったら、たいへん。 ウチとよそは違う。」
まるで、無菌培養室で成長したようなものだった。
私は同じ年ごろの子どもたちと、時代を共有することがなかったのだ。

兄がいたけれど、体が弱かった兄は「生きている」だけで認められていて、
男の子だし、外で友だちと泥だらけになって遊んでいても咎められなかった。

兄は伸び伸びと子ども時代を過ごし、多くの友だちに恵まれ、
いざという時に信じられない力を発揮し、
人生の要所要所で自分で人生を切り拓いてきた。
兄は受験にも強かったし、体が弱いのに、かなり激しいスポーツにも打ち込んでいた。
兄には子ども時代について、尽きないほどの思い出があるに違いない。
私は兄が大好きだったけれど、いつもどこかで妬んでもいた。
兄が誰からも愛されること、
何より、母親の無条件の愛情が兄に傾いているように思われてならなかったのだ。

自分が生きづらいと感じるとき、私の意識はいつもこの辺りをさまよい始め、
心の芯にある恨みの感情に突き当たった。

やがて大人になって、自分も嫁ぎ、夫の原家族との関わりや子育てを通して、
当時の母の苦労をある程度理解したのだけれど、それはあくまでも
理性によるものであって、「ゆるした」という実感とは隔たりがあった。

ここまで書いて…、
実はこの1週間、「サムエル記下」の後半に取り組んでたのだが、
私の生まれつきのような悲しみの氷塊が一気に解けてしまうような心的な体験をした。


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