風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




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サムエル記上 サウルとダビデに・・・。 :: 2010/01/28(Thu)

うみ

女たちは楽を奏し、
歌い交わした。
「サウルは千を討ち、
ダビデは万を討った。」
サウルは
これを聞いて激怒し、
悔しがって言った。
「ダビデには万、
わたしには千。
あとは、王位を
与えるだけか。」
この日以来、
サウルはダビデを
ねたみの目で見るようになった。 ~サムエル記上18:7-9

サウルは、主がダビデと共におられること、娘ミカルが
ダビデを愛していることを思い知らされて、ダビデをいっそう恐れ、生涯ダビデに敵意を抱いた。
                       ~サムエル記上18:28、29 


同じように主に油を注がれた2人。
サウルとダビデ。
私は、人間的な弱さ丸出しのサウルについつい同情してしまう。

老いが迫るサウル王…いつも不安な気持ちに追われ、その上、民のため、兵士のために
               良かれと思ってした行いをことごとく否定されるお兄ちゃん。
若き日のダビデ…親の心を勝ち取るコツを心得た、要領のいい弟。

若きダビデは、私の中では、昨年読んだ「創世記」の「ヨセフ物語」、
すなわち兄たちの嫉妬を買って、エジプトに売られたヨセフの物語と重なる。

母親の愛情が、どちらかというと兄に傾いていると感じながら大きくなった私だから、
どうしても、そんなふうに感じてしまうのかもしれない。

自らの行いの根本的な間違いに気づくことができなかったサウル王は、神に見捨てられる。
「どうして主からも、自分をスカウトしたサムエルからも、
 疎んじられるのか分からない…、主に油注がれた、この私が。
 その上、主は、自分が目をかけてやったダビデという若者ばかりを…。」
そんな状況が続いたら、ダビデのために苦しんだサウル王が、
ダビデ殺害の妄想に囚われるのも無理からぬことのように感じられないでもない。

歌舞伎町の「エポペ」のネラン神父様は、「兄弟を愛することとはどういうことか」と問われて、
「少なくとも殺さないことだな。」と答えられたそうだ。     ~ネラン神父様猛語録~

主が自分を離れてしまったサウルの寂しさと苦悩と焦燥と、
サウルに憎まれていることを知っていてもサウルに仕えたダビデの苦悩は、
どちらを想像しても、それぞれに胸が痛む。
しかし、どんな苦悩のただ中に置かれても、飽くまでも、
主を見上げ、「主に油を注がれた人サウル」に忠実で、その死を望まなかったダビデと、
自分の立場に固執して、執拗にダビデの死を願ったサウルとを比べたとき、
そこに、私たちがどういう生き方をしなくてはいけないかが示されている気がする。


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