風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




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子どもたちから贈られたもの その6 :: 2009/12/28(Mon)

カトリック教会では、まだしばらく降誕節が続きます。


2009 聖夜 「もしも、あなたが身近な人が
 行うことに対して、
 おおらかな気持ちでいられない
 としたら、それは、幼いときに
 心に受けた傷の手当てが
 済んでいない証拠です。」


 いつか、ある人がこう言いました。

 身近な人の言動に、なぜか苛立って
 しまうのは、「幼かった私が、自ら
 の行いを寛容なまなざしで赦して
もらえなかった」という痛みが疼くのかも知れません。

自覚のない心の奥底で、痛い記憶が疼いていた私は、私の母もそうだったように、
幼いわが子らに対して、厳しい親になりました。
特に、しっかり者の上の子に、私は厳しく当たりました。
厳しく当たっては、そんな自らを激しく責めました。
親としての過ちと、強い後悔とを繰り返しました。

ある日、下の子が頑是ない口調で私に尋ねました。

「おかあさん、ボクなんて生まれて来なければ良かった?」
「どうして、そんなことを言うの?おかあさんは、アップロードファイルちゃんのことが、こんなに好きでしょう?」

上の子ほどに厳しくした覚えのない、下の子の言葉に、私はうろたえ、
思わず幼かったわが子を抱きしめました。
下の子は「うん!」と、安心したように笑って、遊びに戻っていきました。

後になって、ハッと気づきました。
あれは、甘えが赦されていた下の子にしか出来ない質問だったのだと。
下の子は、私がどう答えるかについて、確信があったのです。自信があったのです。
私が厳しく接してしまう上の子だったら、私から返ってくる答えが恐ろしくて、
口に出来ない問いでした。

やがて、それから10年以上も経って、私は強い想いに駆られて、
それまでの自分について、上の子に謝罪しました。
同じ過ちを繰り返さない決意をもって謝罪しました。
そのころの私は、まだ、上の子と一緒に下の子も傷ついていたことに気づいていませんでした。

後戻りできない過去への後悔や自責の念は、何も生み出さないかも知れません。
けれど、今も私の心には、傷ついた幼い私と、
私が傷つけていた小さい上の子と下の子が共にありありと居て、
あらゆる瞬間において、今の私に問い続けます。

亡くなった私の母は、自分の子育てに自信たっぷりで、
身近な人の子育てと生き方とを容赦なく評価しました。
そんな母の内的世界には、傷んだ子どもは居なかったのでしょうか。
                           (まだ、続きそうです。)


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