風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




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少しだけれど、関わってみて感じたこと・・教会共同体 :: 2009/11/09(Mon)

P1000374.jpg 「一体だれがこのバトンを
 受け取ってくれるの?」
 と、教会の地区のお世話係の
 2周目を、半ば苛立ちながら、
 走り続けたこの1年。

 でも、「初めて打診された年、
 断っていたとしたら失っていたもの」を
 想像して、私に必要だから
 与えられた状況だったのだと振り返る。
 
 でも、正直、苦しかった。
 「生きているのが
 アホらしくなったわ。」
 という、いつもの思考パターンに
 それほど陥らなかったのは、
 忙しい自分の時間を犠牲にして、

私の子ども染みた感情を受けとめてくれた友人の支えがあったればこそ。
何ということ!kao04  エエかっこしいの私が、自分の弱さをあからさまにして、
教会の友だちに甘えてしまったのだ。
人さまに甘えること・・・それは、今までの私には決してできないことだったのに。

かつて、私が教会に対して心を閉ざしていた間、教会共同体を支えて、
苦労している人がいることを意識したことはなかった。一瞬気になったとしても、せいぜい、
「こういうことが好きな人たちがやっているのでしょうから、任せておけばいいのよ。」
と、無関心を貫き通して、自分1人を守って来た。

イエスに代わって扉を叩き続ける友だちがたまたま身近に現れ、
その呼びかけに「引っ張り出され」、教会に戻ってみて、
初めて、教会のために尽力している人々の苦労の一端を体験した。

そして、苦労を共にしてみて、味わったことのない「一体感」のようなものを知った。

その驚きを思えば、心を閉ざす寂しさだけが「財産」だったような者、
この「財産」にしがみついていたような者の扉を叩き続けてくれた友だちに対して、
深く感謝しないではいられない。
私がこの気持ちを忘れませんように。

昭和という時代について、「URL」(青い四角2枚) †SbWebs†ぼんくらオヤジさんは、

「人が人に期待し、信じることを諦めなかった時代」
「その試みを、ある時期から煩わしさと自分が傷付くことへの恐れ故に放棄してしまったのでは、
現在の私達が抱える心の飢えと渇きはここから始まっているように思えてなりません。」
「昭和という時代は、人を愛する勇気を忘れぬように、
過去から尚、問い続けているんじゃないでしょうか。」

と仰った。

数年前、人との交わりを心から煩わしく感じていた私が、
意外なことに、友だちの「心優しきお節介ハートありがとう」に救われた。
当時、いま私がしているのと同じ係をしていたこの友だちは、私が無遠慮に感情をぶつけても、
そのために、ずい分傷ついたであろうに、
あくまでも自分がイエスの弟子であることを忘れなかった。

そして、お節介さんwakuwakuは、お節介さん を呼んで、私は何人もの友だちに甘えさせてもらった。
お心当たりのおありになる皆様、ここで重ねて申し上げます。
甘えるあまりに私が犯した、数々のご無礼をお赦しください。jumee☆thanks4


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  1. 今日の想い
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