風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




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静かで揺らがないご計画 :: 2009/11/03(Tue)

武蔵野 2009.11.1 一昨日のミサ説教。
 (「真福八端」マタイ5:1-12

 すべてに心をお配りになり、
 人の心に応えようとされる
 心温かいアメリカ人司祭は、
 お説教にもまごころを
 込められるので、
 お話は長めだ。
 生きて来られた神父様の
 これまでが窺われる、
 深いお話なのだけれど、
感情中枢ばかりが発達して、読解問題嫌いの私ゆえ、
この神父様のお話を、後になってまとめるのは難しい。
この私が昨日のお話をここにまとめようとしても、正確に伝えることはできない。
これからは、メモを取ることにしよう。それだけの価値のあるお説教をなさる神父様だ。

神父様のお話がスタート地点となって、ミサ中、いつものように暴走を始めた私の心が
はっとしたこと。・・・天に召された父と母という夫婦を思っていた。
私を決して無邪気な子どもにはさせてくれなかった、緊張に満ちた家庭を築いた両親と祖母。
そこに暮らす誰もが居心地の良さを覚えることが難しかった家。
確かに私たちはある意味で「悲しむ人々」であったし、「大きな苦難を通ってきた」
(第1朗読「ヨハネ黙示録」)家族なのかもしれない。
悲しみ方、苦しみ方は各人ばらばらではあったけれど。

きっと、ひとりひとりが「今」が来るまでの日々を後悔していたのではないだろうか。
少なくとも、私はそうだった。だから「今」が厭わしかった。

「日々の気分の波、嵐のような波」という言葉を神父様はお使いになった。
「そういうものではなく、激しい嵐にもかかわらず、静けさを保つ海の底のようなものが、
誰にもあります。私はそれを信じたい。私は人のそういうところとつながりたい。」

初めて耳にした表現ではなかったけれど、神父様の一昨日のお話では、
「静かな海の底」に決して揺らぐことのない「存在」を感じ取った気がした。

家庭の中に日々生じた確執に、子どもであった兄と私は特に傷ついたが、
確執という嵐の海の、深い深い海底に、
天地創造以前から神が約束された、私たち家族の出会いがあったのではないだろうか。


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