風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




スポンサーサイト :: --/--/--(--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


  1. スポンサー広告

今週の感想 「わたしには重すぎます」 :: 2009/10/14(Wed)

「わたしには重すぎます。」(旧約聖書:民数記11章14節)
「そうすれば、彼らは民の重荷をあなたと共に負うことができるようになり、
 あなたひとりで負うことはなくなる。」(民数記11章17節)

                        
民数記1~12章を読んで、まず感じたのは、
「なぜ、主は、モーセの『訴え』は聞き入れられて、
イスラエルの民の『不満』には怒りを露にされるのか。」
ということでした。

そして、つい最近読んだ遠藤周作の言葉に思いが至りました。
遠藤周作は、

「カトリックが自殺を認めないのは、キリスト教が一番大事にする『愛』が
自殺に欠けているからだろう」  (「死について考える」/光文社文庫)


と、書いています。 

イスラエルの民の、神への訴え方は、感情に流され、
目先のことに囚われたがちで、愛が欠けていたのかもしれません。
(ここでも、私自身のうちにも同じような弱さがある、と思い当たります。)

神の、民に対する怒りや、冒頭に取り上げたモーセの神への訴えは、

「わたしは、…、
  主の民すべてが預言者になればよいと切望しているのだ」(民数記11章29節)


というモーセの言葉と相俟って、まことの愛に満ちたものだと感じます。

神は、モーセの重荷を安易に取り除いて下さるのではなく、
モーセと一緒に重荷を負ってくれる長老たちを与えて下さいました。

神から与えられた使命と、それに伴う試練を安易に投げ出してはいけないこと、
そして、素直な思いと強い意思で求めれば、
一緒に重荷を背負ってくれる仲間が与えられることを示された気がしました。


             さっびっくりマーク☆ラストスパートファイト
                     え?何が・・・汗     



マリンクローバーいつも、応援のクリックをありがとうございます。心の励みになります。マリンクローバー

banner2.gif c_02.gif


テーマ:聖書・キリスト教 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 今日の想い
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。