風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




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「なまぬるさ」 :: 2009/08/17(Mon)

日食の日・曇り空

   
    わたしはあなたの行いを知っている。
    あなたは、冷たくもなく熱くもない。
    むしろ、冷たいか熱いか、
    どちらかであってほしい。
    熱くもなく冷たくもなく、
    なまぬるいので、
    わたしはあなたを口から
    吐き出そうとしている。

      ~ヨハネの黙示録 3:15、16~ 
 
    




どこの社会でも同じだが、教会という社会に、
ある程度の繋がりを持つようになると、様々なタイプの人と出会う。

その中には、私とは絶対に合わない人だな、と感じる人もいる。

そして、この人と顔を合わせないで済んだら、
教会共同体とは何と居心地がよい所だろうか、と想像することがある。

だが、同時に人の尺度では測れない、私たちひとりひとり、それぞれに対する
神さまの意図や期待が仄見える気がする。

私には苦手なタイプの人だけれど、あのパワフルなリーダーシップがなかったら…、
(私はパワフルではない)
人から敬遠されても負けない強さが、その人になかったら…。
(私は孤立感だけで、いとも簡単につぶれる)

これまでに出会った人々を振り返ると、そういう人が、規模の差はあっても、
ひとつの「運動」に至るような、大きな働きの核になっているように感じる。

だから、実は心の内では、そういう人に対する苦手意識は、尊敬の念に変わっている。

どんな人間でも神ではないから、その人の大きな働きにもかかわらず、
その人の内面は周囲から理解されずに、
孤独に甘んじることもあるのだろうな、と思うことがある。

どんな人間でも神ではないから、
それぞれの持ち味のマイナスの面が、お互いを傷つけることにもなるのろうが、
案外、カトリック世界で「聖人」と崇められるような人は、私たちの尺度で見ると
「どうして、あの方が?」というタイプの人だったりするのかも知れない、と思うことがある。
(私は数年前に亡くなられた或る神父様のことを考えている)

分かるのだけれど・・・・・。
神のようにその人の心を見ることができたら良いのに。

なまぬるいこの心は・・・。


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テーマ:生きること - ジャンル:心と身体

  1. 今日の想い
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