風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




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「起きて食べよ。」 :: 2009/08/08(Sat)

伊香保・緑・09.07.26.
 テレビに出てくる霊能者
 では あるまいし、
 神さまが安っぽくなる
 ようで抵抗があるのだが、
 時として何者かに
 呼ばれて、その時々の
 場所や状況に
 「今、置かれている」
 と感じることがある。

 今日もそんな気がした。

 明日は実家に行く日。
 実家に行くとなると
その「覚悟」だけでも大変なのに、朝から合宿に出かける息子を送り出したり、
ケーキを焼いたり、(実家は遠いし)忙しなかったので、何となく、明日の代わりに与る
今日の夕方の主日ミサはおサボりと決めていた。

ところが、午後になると、どうしてもミサに与りたくなった。
「今なら間に合う」と、顔に化けの皮を貼り付けコスメ、クローゼットで目に飛び込んだ服に着替えた。
その後にも、いくつかの「邪魔」があったが、なぜか教会に向かうことしか思い浮かばなかった。

              ~「列王記上19・4-8」~
       「(彼=エリヤは)自分の命が絶えるのを願って言った。
       『主よ、もう十分です。わたしの命を取ってください。・・・・』
       彼はえにしだの木の下で横になって眠ってしまった。
       ・・・・・・・
       主の御使いはもう1度戻って来てエリヤに触れ、
       『起きて食べよ。この旅は長く、あなたには耐え難いからだ』
       と言った。エリヤは起きて食べ、飲んだ。
       その食べ物に力づけられた彼は。40日40夜歩き続け、
       ついに神の山ホレブに着いた。(抜粋)


この第1朗読が読まれたとき、私は今日これを聴くためにミサに呼ばれたのだと思った。

聖書、あるいはいろいろな書物を読むと、神に見込まれた人がまず、
「神さま、なぜこの私などに。私よりもっと人望のある人にお命じになってください。」と、
神に向かって"YES."が言えない人の弱さが、あからさまになる場面がたびたび登場する。

自らを省みる。
たとえば明日のこと。・・・そう、明日のこと。
何かしら身構えなくては帰れない実家という場所。

誰もが神に見込まれ、誰もが神から使命を与えられ、神によって期待されている。
期待されているものが私の身の丈に合ったものに違いなくても、重いものは重い。

今日、私はミサで聖体拝領に与り、いのちのパンを戴き、
明日、実家に派遣される。

そう、神によって派遣されるのだ。

彼らを批判的に見たり、腹立たしく思ったりしてはならない。
悲しんでもいけない。

私の思いのためにではなく、
神のみ心が行われるための、小さなお手伝いのために派遣されるのだ。

忘れてはいけない。

       「神の聖霊を悲しませてはいけません。」 ~「エフェソ4・30~5・2」~



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