風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




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人の「魂と心と目を生き返らせる」もの :: 2008/11/22(Sat)

都会の紅葉 

 主の律法は完全で、魂を生き返らせ
 主の定めは真実で、無知な人に知恵を与える。
 主の命令はまっすぐで、心に喜びを与え
 主の戒めは清らかで、目に光を与える。
                 ~詩編19:8-9~

           「聖書」日本聖書協会・新共同訳


 旧約聖書の詩編19を、教会のあるグループで
 読む機会に恵まれました。
 日ごろから不勉強な私は、予習することもなく、
 いきなり皆さんと声を合わせて読みました。
 そして、皆さんが読むのを耳にして、
 この箇所にハッとしました。

 カトリック教徒の私たちが信じている
 神の国(神の愛による支配)の完成に向けての

「産みの苦しみ」なのだと思いますが、
どこまでも努力を重ねても、決して完璧になり得ない私たちは、
日々を生きて、人間関係の不自由さに疲れることがしばしばあります。

私は、そういうことが煩わしいので、つい単独行動に走りがちです。

しかし、「寂しさという本能」を持って生まれる人間ゆえ、
うっかりすると、「共同体」の繋がりに期待を寄せてしまい、
自分がしがらみの渦に巻き込まれていることに気づくことがあります。

しがらみが運んで来るいくつかの問題に怒りや悔しさを覚えたり、
困り果てたりしながら、自分の「天敵」になりそうな人を指さして、
一丁前に呆れたり、嘆いちゃったりします。

時として、歪んだ正義感が暴走して、
私の周囲の人々を居づらくさせている特定の人について、
陰口を叩いて、思い切り攻撃しちゃったりします。

やがて、私の心の奥に後味の悪いものが残ります。

こういうとき、先程の正義感は、
あくまでも「私の中の正義感」であって、
「人間の正義」なんかではなかったのだなあ、としみじみと反省します。

私の怒りに任せた陰口は、
誰の魂も生き返らせることもなく、
誰の心に喜びを与えることもなく、
誰の目に光を与えることもない…きっと。

なのに、どうして、何歳になっても同じようなことで失敗するのかしら。

いつの日か、私が真の裁きを受ける日、
神さまが、私のおっちょこちょいを許してくださいますように。

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テーマ:生きること - ジャンル:心と身体

  1. 今日の想い
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