風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




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「キリストが透けて見える人」 :: 2015/07/18(Sat)

ゆり 

 「ほかの人の苦しみと触れ合って、
  はじめて悲のこころが生まれてきます。
  悲のこころとは、
  文字どおり、『ともに苦しむ』ことなのです。
  (訳注・英語のcompassionという言葉は、
  com=『ともに』、passion=『苦しみを受けること』
  『受難』を意味します)。」
  /「微笑みを生きる」/ティク・ナット・ハン 著/
   池田久代 訳/春秋社



 久しぶりにティク・ナット・ハンを読んでいたら、
 この一節に目が留まりました。
 思いあたることがあったからです。
 とても大事な友人であるにもかかわらず、
誰かが自分自身の状況を語り始めると、私はなぜか苛立ってしまうのです。
友だちの顔をして連絡を取り合いながら、そして、その話に耳を傾けながらも、
私に訴える人の苦しみに触れていない、
決して触れようとしていない自分を思い知りました。

悲しむ人の涙を見て、黙って、そして控え目にその手に触れる人がいます。
いつも物事を静かに深く受けとめて黙って思いを巡らす人です。
そういう人の存在と行いと「言葉」が、辛い心の人をどれほど慰めることでしょう。

受洗してから40年にもなろうとする私が見ている前で
ついこの間、洗礼を受けたばかりの友だちは、
既に、モーリス・ズンデルの表現そのままに「キリストが透けて見える」人となり、
私の師となっていました。


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  1. 今日の想い

娘が蒔いてくれた種 :: 2015/07/17(Fri)

向日葵 2 数年前に嫁いだ娘が、医師の指示で、
 家でちょっと安静にしている。
 娘婿は忙しい人だが、それでもよく面倒を
 看てくれている。
 そんな2人に少しでも役に立てないかと、
 週に何度か2人の家を訪れている。
 実は家事は苦手で、面倒見の悪い私なのだが。

 感情が不安定だった私のために、幼いときから
 辛い思いをした娘は思春期のある日、
 たった1度の私の謝罪をたやすく受け入れ、
一方的に赦してくれた。今思えば、親からの謝罪の言葉に、むしろ傷つく危険もあったのに。

私は赦すということを娘から学んだ。
その娘が私のために「償い」の機会を設けてくれたように思えて、いそいそと娘宅を訪問している。

そして、訪問のたびに娘と新たに出会っているようであり、
なぜか今は故人となった実家の母への感謝の思いが湧いてくる。
激情型の母で、私はずいぶん傷つき、「母を深く愛しつつ憎む」という関係にあった。

生前の母との軋轢に苦しみながら一生を過ごすものと思っていたのに、
目の前の娘と「和解し続ける」うちに、亡き母とも心からの和解が進んでいることを
噛みしめている。

神様のなさり方はいつも不思議だ。

そして、娘に心からの感謝を。


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  1. 感謝
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