風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




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レクチオ・ディヴィナを始めてみた :: 2013/04/30(Tue)

レクチオ・ディヴィナという聖書の読み方があるのを
耳にして、何年が経つだろう。
その時に買った手引き書的な本、
「目からウロコ・聖書の読み方―レクチオ・ディヴィナ入門」
                /来住英俊/女子パウロ会
も書棚の中で手つかずの新品のままにしていた。

来住神父様はこの本の中で、
「多くの信徒が『自分はもっと祈らなければならない』と悩んでいます。
そういう悩みや不安が起こるのは『私ともっと親しくなろうじゃないか』と、
神があなたに呼びかけておられるからです。」
と述べておられる。

何事も要領の悪い私は、いつも時間に追われて睡眠不足だが、
この連休に入って、この読み方で
詩編(「詩編 ともに祈り、ともに歌う 現代語訳」
        /典礼委員会詩編小委員会/あかし書房)
を味わってみようと思って、レクチオ・ディヴィナを始めてみた。

祈りとして聖書を読むこと。
読んでいると、私の心はすぐにその場を離れがちだし、
すぐに居眠りを始めてしまう。
神さま、続けられますように、私をお導きください。

今日は「詩編 3」。

今日心に響いた言葉
3:4 わたしを高く上げてくださるかた。
3:5 神は とうとい山から答えられる。
3:6 わたしは伏して眠り、また目を さます。
3:9 祝福を あなたの民の上に。

日常を生きていると、いろいろなことがスムーズに進まない。
多くは「あまりにばかばかしいこと」。
やらなくてはいけない本質的なこととは無関係なことに足止めされる。

しかし、思えば何年か前の私は、こういうことにさえ脅えていた。
自分が人から、どう見られているのかということが大きな問題だった。
自分の周囲は意地悪な敵ばかりだと感じていた。

今は必要を感じたら、怒りを素直に相手に伝えるようになった。
よく考えてから、怒りを伝えるようになった。

遠い昔、
「良く祈って、自分に出来る限りのことをしたなら、
 あとは神さまにお任せだよ。」と、
土地の言葉で励まして下さった竹を割ったような性格の
亡き先輩の言葉が今さらのように耳に甦る。
私は神が守っていてくださることに信頼しながら、
「伏して眠り、また目をさます。」

しかし、神さま、無責任な態度を取り、
私にどんなに忙しさを押しつける「同僚」であっても、
その人もあなたの民の一人。
心優しかったあの先輩にように、
私にも、その人のために、あなたの祝福を願う優しさを与えてください。

レクチオ・ディヴィナについては、
片柳神父様のブログにも説明がある。


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  1. 祈り

友と歩む :: 2013/04/22(Mon)

関口教会2b  私は「話すこと」が苦手である。
  人に伝えたいことを、理路整然と、
  且つ、澱みなく語れる人を
  つくづく羨ましいと思う。
 「大事なことは相手の顔を見て、
  直接話せ。」と言われるけれど、
  それは、口下手な人には
  酷な考えである。
  私は、本当に伝えたいことは、
  仕方なく文章化することが多い。

  しかし、最近そんな私が、
  話すことも書くことも読むことも
  苦手な、若い人と友だちになった。
  この人は、自分の言い分を
  心いっぱいにため込んでいるのに、
  それをうまく表現することが
  できず、十分に話を聴いて
  もらえない体験を重ねてきたことが
  言葉の端々から伝わってくる。
  自己表現が苦手なために、
  ただ一方的に誤解されることも
  多かったのではないだろうか。




口下手だけでも相当に辛いと感じている私なので、その若い友だちの苦しさは
如何ばかりかと、胸が痛む。
せめて顔を合わせているときには、ゆっくりとこの友だちの話に耳を傾けようと思う。
時間という最高のプレゼントを、この友だちに贈ることができますように。

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  1. 今日の想い

いつも新しい風が :: 2013/04/19(Fri)

2010 はなみずき  キリスト教の教会には天使のような人ばかりが
  居ると思っている人は、どの位いるのだろうか。

  そう思っている人には期待はずれかもしれないが、
  教会というところは、集まっている人の、
  実に人間的な、あまりに人間的な部分が
  あからさまになる場所でもある。

  それは、教会という場所が、自分を罪びとと
  認めた人々の集まりなので、人間の弱さが表に
  出やすいためなのかもしれない。

  しかし、教会はそういう人々が赦しを求めて

集まる場でもある。
そして、神に赦されたと確実に感じ取った人が、次には人間と人間の間で
赦し赦されることに希望を置くようになる。弱い部分をたくさん持ちながらも、
教会に集まる人々は赦し合いながら、支え合うことを目指して共に歩む、神と共に歩む、
これが教会のあり方だと思う。

神様は、私たち未熟な人間の行ないを、親が赤ん坊の行動を見守るように寛容な眼差しで
見守り、待っていて下さる方である。
教会にはその力があふれている。教会にはお互いの小さい失敗をおおらかに受け止める
大きさがある。本来はそうであるべきだ。

ところで、「言葉」は人に何かを伝える手段であり、相手を打ち負かし抑え込むために
与えられたものではない、と聞いたことがある。
だが、実際には教会にも、意思伝達の手段として神から与えられたはずの「言葉」を、
相手を攻撃するための武器にする人がいる。残念なことだが。
そういう人々が、力に任せて大きな声で自己主張に終始すると、
神様は教会における居場所を失うのではないだろうか。
神様が何とかして下さる前に、その人が語り、行動してしまっているから。
神様の出る幕がない。

時として目に余るほどのその有り様には、同じ共同体の一員として悲しみを
覚えないではいられない。神様は平和と一致を望んでおいでなのに、人間というものは、
こんな小さな世界においてさえ、いつも分裂の危険と背中合わせだ。

神様がその力を十分に発揮できるように、教会共同体にはいつも新鮮な空気や生きた水が
送り込まれるべきである。いつも新しい風が流れ、常に生まれ変わってほしいと思う。 
一致と平和はそういう生きた共同体でこそ、実現可能なのだと思う。

このために私たちの世代にできること。
私たちの後を引き受けてくれる若い世代に、知っていることを惜しみなく伝えること。惜しみなく。
伝えたことが若い世代にとって抗しがたい重荷、破ってはいけない掟にならないように
気をつけながらも、知っておくべき情報はきちんと伝え、その後は、温かく応援したい。
教会共同体の風通しを良くして、若い世代が活躍しやすい場であることを願う。
そして、老いていく私は私で、
神様が、その時々の私にも出来る奉仕に気づかせて下さるように祈りたい。

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  1. 祈り

聖母に倣う :: 2013/04/14(Sun)

              聖母と薔薇


聖母マリアについて分かち合う場があった。

今生の別れの時まで、互いの確執に悩んだ母娘関係にあった私だったためか、
カトリックでありながら私が聖母を受け入れるまでには、かなりの時間がかかった。
もしかしたら、今も、「母なるもの」としての聖母を受け入れていないのかもしれない。

正直のところ、あまりにも慈愛に満ちた両親に恵まれたイエスに、私は嫉妬さえ感じていた。
このように聖母を受けとめられない私について、ある司祭に訴えてみたことがある。
15年ほど前のことだろうか。

その司祭は、私の感情には触れることなく、その代わりに、聖母がどんなことであろうと、
「母はこれらのことをすべて心に納めていた。」と、すべてを胸に納め、
思いを巡らした姿勢について語って下さった。
大天使ガブリエルによる受胎告知はもとより、生まれたばかりのわが子を訪れた
羊飼いたちの賛美の言葉も、「どうしてわたしを捜したのですか。わたしが自分の
父の家にいるのは当たり前だということを、知らなかったのですか。」
「婦人よ、あなたは、わたしと、なんの係わりがありますか。」という
思いがけない息子の言葉さえ。
聖母マリアの姿勢は一貫していた。
そして、「お言葉どおり、この身に成りますように。」という神への従順に生きていた。

私がつまずいていた「母なるもの」について、
「どうでもよい」とまでは仰らなかったけれど、
その司祭は聖母に倣うのは、この「胸に納め、思い巡らす」在り方だと仰った。
このことがあってから、少しずつ聖母に親しみを持てるようになった。

「胸に納め、思いを巡らす」ことは静かな姿に見える。
しかし、その内面には荒れ狂う海のような激しい怒りや悲しみが
渦巻いているのかもしれない。
じっとしてはいられないような焦燥感に襲われているのかもしれない。

しかし、じたばたしてはいけない。
神は出来事を通して語られると学んだことがある。
自分に起こっている出来事をじっと受け留め、しっかりと思いを巡らし、
語られていることに「耳をすます」。
信仰者と呼ばれる者の道は「聖母マリアの道」なのだとつくづく思った。

更に自分を省みるなら、15年前、私は高校生と中学生の母親だった。
私の母親が自分にとってどんな母であって欲しかったかを問うよりも、
私がわが子に対してどんな母親であるかを問わなくてはいけない年齢であった。
必要な回り道であったのかもしれないが、今になって恥ずかしい。

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  1. 祈り

「ちっちゃな もぐら」/佐久間彪・絵と文/至光社 :: 2013/04/13(Sat)

            ちっちゃなもぐら

            思いもかけない贈り物。
            36年も前、洗礼を授けて頂いた神父様の新刊の絵本。
            感謝のうちに、味わい味わい繰り返し拝読した。
            出版元の至光社に尋ねたら、発売はこれから、とのこと。


       わたしたちは誰も、行く手も分からなままに、
     来る日も来る日も、その日そのときに、
     目の前に与えられた出来事を
     懸命に片付け片付け、ただただ歩みを続けます。
     ときどき払い落す泥は、
     悲しみでしょうか、怒りでしょうか、悔しさでしょうか。
     あるいは何らかの罪の意識でしょうか。 
     それでも、
     懸命に、ひたすら歩みを続けると、
     神さまだけに可能な
     絶妙のタイミングで、
     必要なときに
     最良の友の中の友との出会いが
     与えられることもあります…。
         
     わが身を振り返って、
     確かにそんなことが何度もあり、
     そのたびに救われ、
     人生が少しほんものに近づいた…、
     そんなことを思いました。
                感謝のうちに。



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  1. この1冊
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