風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




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  1. スポンサー広告

「おバカさん」が遺したもの -G・ネラン神父記念シンポジウム- :: 2011/09/24(Sat)

  9月24日(土)まで、これをトップ記事にさせて戴きます。
  新しい投稿記事は、この記事の下にあります。
  新宿区歌舞伎町のカウンターバー「エポペ」からのお知らせです。
  


  追伸です。9月7日付の「エポペ航行日誌」によりますと、
  エポペは今月30日で31年間の歴史に幕を閉じるそうです。(9/7記)

ネラン神父の記念シンポジウムが以下の内容で開催されます。
事前の予約などは必要ありませんので、皆さまのお越しをお待ち申し上げております。

「おバカさん」が遺したもの
-G・ネラン神父記念シンポジウム-

9月24日(土)
午後1時30分~3時30分
真生会館4階 第7会議室 (会費500円)

パネラー:
進藤重光
(「エポペ」代表役員・NPO法人HINT代表理事)
山内継祐
(カトリック社会問題研究所『福音と社会』編集担当全国委員・元ネラン塾塾頭)
山根道公
(ノートルダム清心女子大学キリスト教文化研究所准教授・遠藤周作学会事務局長)
司 会 :オリビエ・シェガレ
(真生会館館長・パリ外国宣教会日本管区管区長)
(敬称略・あいうえお順)
主 催 :財団法人 真生会館

    真生会館をクリックしてください。
    さらに「案内」をクリックしますと場所が記載されています。
    
    エポペ
    エポペ航行日誌



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テーマ:宗教・信仰 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. お知らせ

平賀徹夫仙台司教のメッセージ :: 2011/09/15(Thu)

東日本大震災から半年が過ぎて、
平賀徹夫仙台司教のメッセージが発表されました。

小さいことながら、被災地の皆さんへの支援を
これからも長く続けるにあたって、
大切なことが述べられていると思います。

お読みいただけましたら幸いです。

 「東日本大震災救援・復興活動にかかる
『新しい創造』基本計画、第2期に向けて」


  1. お知らせ

ふるさとへの想い :: 2011/09/14(Wed)

                  聖霊リ-ス

                主はアブラムに言われた。
               「あなたは生まれ故郷
                父の家を離れて
                わたしが示す地に行きなさい。
                わたしはあなたを大いなる国民にし
                あなたを祝福し、あなたの名を高める
                祝福の源となるように」
                    <略>
                アブラムは、主の言葉に従って旅立った。
                                  (創世記12:1-4)

  信仰によって、アブラハムは、自分が財産として受け継ぐことになる土地に
  出て行くように召し出されると、これに服従し、
  行き先も知らずに出発したのです。
                         (ヘブライ人への手紙11:7‐22)


テレビ報道を通じて、故郷を離れての避難生活を余儀なくされている皆さん、
なかなか帰郷が許されないそのご様子にふれるたびに、胸が痛んでならない。

特に福島県には高齢のおじ夫婦が住んでいる所だし、私のふるさとの茨城県の隣の県なので、
小さいときから親しみを覚えてきた。
ドライブで、あるいは旅行で何度も足を運んだ県でもある。

ふるさとは容易に離れられるものではない。特に農家の皆さんにとっては「いのち」に等しい。
大切なふるさとを遠く離れて避難している皆さんの悲しみ、苦しみは計り知れない。

ふっと、慣れ親しんだハッラーンという肥沃な土地から、
「カナン地方に移住するように」との、神のご命令に従ったアブラハムが重なった。
伝承、神話の類として、何気なく読んでしまってきたのだが、
旧約聖書の中のアブラハムが、あくまでも神に忠実であろうとして覚えたであろう、
人間としての心の葛藤、痛みについて初めて思った。
(この伝承の陰にはどんな歴史的なできごとがあったのだろうか、とも思ったのだが。)

並の人間である私が理不尽だと感じ、苦しみ抜くであろう同じ痛みを、
信仰に篤いアブラハムも十二分に味わいつつ、それでも神に従ったのではないだろうか。
信仰の父アブラハムは、苦しみを味わい尽くし、耐えた人でもあったのかもしれない。

まだまだ、聖書の読み方が浅いことを感じた。心で読みたい。


神さま、被災地の皆さまを、私たちがいつも心にとめ、
たとえ小さくても支援を続けることができますように、導いてください。
そして何より、皆さまが1日でも早く、懐かしいふるさとにお帰りになれますように。


このような販売会の記事を見つけた。 
        「福島県 野菜・果物 販売会」
何回か足を運ぶ機会がありそうだ。
      
 カリタスジャパン

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  1. 今日の想い

「限界」とともに :: 2011/09/08(Thu)

しずく 仲よくしてくれて
 いる友人に、
 たいへん辛い
 病気の疑いがある。
 今まで私に心を
 かけてくれた友人の
 危機に、無力な私は
 何も役に立てない。
 何かできることは
 ないかとあれこれ
 考えるが、すべてが
 相手にとって負担に

なることに気づかされるばかりだ。
そもそも、日常生活を難なくこなしている私の存在そのものが、
友人の目には悲しみと直結するはずだ。
結局、友人を思って祈り続けること、心を寄せ続けることしかないということに
思い至る。友人の苦しみを共に担おうとして、今はそれしか考えつかなかった。

東日本大震災から半年が経って、被災地支援活動を現地で行っているシスターが、
これからの私たちの被災地との関わり方について、
忘れないこと、つながり続けること、出来ることを継続すること
の大切さを述べた。
私たちの教会で行っている支援活動の一部は、このシスターの活動と連携しているので、
身近でその言葉に触れることができた。

つくづく人間の限界を思う。
この限界ある身に与えられた「小さいこと」を、出来る限り完全に行えるように
神さまにお願いしながら、1日1日を歩むことが、私の当面の目標である。

台風12号による大雨で大災害に見舞われた紀伊半島に、再び雨雲が近づいている。
どうか、これ以上の被害がありませんように。


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  1. 祈り

「今」 :: 2011/09/05(Mon)

夕日


 何度も何度も
 教えられもし、
 読んでも来た。

「生きているのは、
『今』そして『ここ』。
 人は過去にも
 未来にも、
 生きる(息をする)
 ことはできない。」
 と。

 それは、
 ある時期までの
 私にはとても

苦手なあり方で、良いことでも悪いことでも、過去の出来事に想いを馳せたり、
将来を思っては夢や不安を抱いたりしていたことを認めざるを得ない。

あるとき、はっと気づかされた。
私の「こころ」はこうして過去や未来をさまよっていて「今、ここ」にいないから、
いつも生きることに窒息感を覚えるのだと。

そして、強い自己嫌悪に陥ったあるとき、人生の先輩の1人が言った。
「そのときのあなたが出来る限りのことをしたのなら、後は神さまにお任せだわ。」

いま与えられていることに精いっぱい関わる。
それが良い結果につながらなかったとしても、出来るだけのことをしたら、
くよくよしたい気持ちを我慢して神さまに託してしまう。

神さまはそういう失敗を抱えたままの私たちを包み込んで下さる。
神さまは瞬間ごとに私たちを助けてくださっている。
そのことについて、私の確信が揺らいでいるときさえも。



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  1. 今日の想い

「ともし火のための油」 :: 2011/09/02(Fri)

天の国は次のようにたとえられる。
10人のおとめがそれぞれともし火を持って、花婿を迎えに出ていく。
そのうちの5人は愚かで、5人は賢かった。
愚かなおとめたちは、ともし火は持っていたが、油の用意をしていなかった。
賢いおとめたちは、それぞれのともし火と一緒に、壺に油を入れて持っていた。
ところが、花婿の来るのが遅れたので、皆眠気がさして眠り込んでしまった。
真夜中に「花婿だ。迎えに出なさい」と叫ぶ声がした。そこで、おとめたちは皆起きて、
それぞれのともし火を整えた。愚かなおとめたちは、賢いおとめたちに言った。
「油を分けてください。わたしたちのともし火は消えそうです。」
賢いおとめたちは答えた。
「分けてあげるほどはありません。それより、店に行って、自分の分を買って来なさい。」
愚かなおとめたちが買いに行っている間に、花婿が到着して、用意のできている5人は、
花婿と一緒に婚宴の席に入り、戸が閉められた。その後で、他のおとめたちも来て、
「ご主人様、ご主人様、開けてください」と言った。
しかし主人は、「はっきり言っておく。わたしはお前たちを知らない」と答えた。
だから、目を覚ましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないのだから。
                           ~マタイ25:1-13~


聖書のたとえ話は難解だ。
良い導き手がいなくては、私にはとても読み解くことができない。
上に記したマタイ25章もそんな箇所だ。
「相手が困っているのに、『あらあ。困っちゃったわねえ。買っていらっしゃいよ。』とは、
何と冷淡な。そんな人を受け入れるのが本当に天の国なのだろうか?」
と、感じたものだ。

幸田司教様が、この箇所について分かりやすく解説していらっしゃるページがある。

「気の毒なおとめたちに意地悪おとめが分けてあげなかった油」とは、
幸田司教様の解説によれば「生き方」など「人に分けてあげることのできないもの」を
意味しているのではないか、とのこと。

納得しつつ、私なりに「人に分けてあげられないもの」について思いをめぐらすうちに、
「分けてあげたいのはやまやまだが、
 いや、分けてあげたくて仕方がないのだが、どうしても分けられないもの、
 さらに言えば、分けても受け取ってもらえないもの」に思いが至った。

ホルマン・ハントの「世の光」という絵が好きだ。

ホルマン・ハントがヨハネの黙示録の
「見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。
だれかわたしの声を聞いて戸を開ける者があれば、
わたしは中に入ってその者と共に食事をし、
彼もまた、わたしと共に食事をするであろう。」(3:20)
を黙想して描いたという。

この絵のように、イエスは扉をこじ開けて、ずかずかとやってきたりはしない。
辛抱強く、遠慮がちに扉をたたき続ける。
「あなたのことが大事なのだよ。どうしているか、気がかりなのだよ。」と。
こちら側が自分の意志で扉を開いて、イエスに心を開くまで。

そして、神の慈しみを確信したなら、
「ともし火の油」は人に分けてあげられるほどに
その人の壺を満たすのかもしれない。


 カリタスジャパン

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