風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




スポンサーサイト :: --/--/--(--)

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


  1. スポンサー広告

固い頭・私の中の偏見 :: 2010/04/29(Thu)

kodemari 残業で遅い、娘の帰宅を待ちながら、
NHKのニュースを見ていた。それが終わるとそのまま、ポップスの歌番組が始まった。
「SONGS」だったかしら。
シャネルズ(ラッツ&スター)の
特集をしていた。

ぼんやり聴いていて驚いた。
「シャネルズって、
 こんなグループだったんだ。
 カッコいいじゃん

「今の若い者は…。」という言い方がある。
私たちの年齢になると使い始める人が
居るかもしれない。

若い日のシャネルズの映像を見ながら愕然としたのは、彼らがデビューしたころの、
あのころの若かった私が、異様なだぶだぶのスーツに身を包んだ彼らの風体を見ただけで、
「こういうヤカラ」を忌み嫌い、その存在さえ認めなかったということだった。
確かその後、このグループは、そんな私が「それ見たことか。」と吐き捨てたくなるような事件を
起こしたように思うが、それにしても、あのころの若かった私が
「今の若い者は…」というようなものの見方をしていたのだ。

年を取って、魂のどこかが浪花節的オカアチャンになったのだろうか。
デビューするまでの彼らが、昼間、それぞれに働き、歌い手としての明らかなイメージを持って
夢を追いかけていた若者たちであったことを初めて知り、歌に合わせた素人くさいステップを
ほほえましく見ている自分に気づいた。彼らの親御さんの様子を想像したりもした。

若い日の自分の頭の固さ、並ではない固さを振り返った。
当時の私は、母親からある夢を持たされて、その入口に立ったけれど、
あの度量の小ささでは、結局、すぐに限界を迎えたのだと思う。
それは、人間を相手にする仕事だったから。

私は家庭の中で、夫に、また、子どもたちによって、更には苦悩によって成長させてもらった。
家族をはじめたくさんの人に迷惑をかけながら、固すぎた頭を少しは柔軟にしてもらった。

子供に愛を注ぐがよい。でも考えは別です。(略)
あなたの家に子供の体(からだ)を住まわせるがよい。でも魂は別です。
子供の魂は明日(あす)の家に住んでいて、あなたは夢のなかにでも、
そこには立ち入れないのです。
子供のようになろうと努めるがよい。でも、子供をあなたのようにしようと
してはいけません。
なぜなら、生命は後(あと)へは戻らず、昨日(きのう)と一緒に
留(とど)まってもいません。
      ~「預言者」/カリール・ジブラン著/佐久間彪訳/至光社~



若さを武器にして、目を充血させながら、昼は仕事をして、夜は夢を追い続けた彼ら。
あのころ、ガチガチに固まった考え方に囚われて、翔べなかった私。
「自分が何になりたいのか分からない。」と言いながら成長し、確実な道を歩いて、
今の生活が楽しいと言ってくれている娘と、親が戸惑うような大きな夢を抱いてしまった息子と。
自分がやってきたことが正しかったのかどうかは分からない。
しかし、ウチの若い子どもたちは、もう既に私たち親が立ち入ってはいけない世界にいる。



応援HPとブログ「挿繪堂 櫻田耕司 仕事イラストギャラリー」 「エポペ航行日誌」

マリンクローバーいつも、応援のクリックをありがとうございます。心の励みになります。マリンクローバー

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

banner2.gif c_02.gif



スポンサーサイト

テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 未分類

エポペ・美しい冒険・その2…「何ができるかな」 :: 2010/04/27(Tue)

聞いたお話や教えがその後の自分にとって意味があるかについて、
私は、「聞いていたその時間が終わったあとも、聞いて心にかかったお話の
断片の一つ一つが内面で勝手に動き出すか」をバロメーターにしている。
昨日、エポペで伺ったお話も、また、エポペに満ちていた雰囲気も、
これからしばらくの間、気がつくと私の心の中で反芻を繰り返すのだろう。

以前にも書いたが、ある友人の気づきの通り、神は小さな存在に
過ぎない私たちに、大々的な宣教活動など求めていらっしゃらない。
1日何人を求道者に導くようにノルマを課していらっしゃるはずもない。

神にとって大事なのは、私たち1人1人がいかに神に忠実か、ということ。
きっと、そうだ。

「『心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くして、
  あなたの神である主を愛しなさい、
  また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」(ルカ10:27)

宣教というのは、全世界をキリスト教徒でいっぱいにすることではなくて、
私たち1人1人が、自分の力に応じて、心をこめて、自分のそばにいる人の
心に寄り添うことだと思う。キリスト教徒を量産することではないのだ。

カウンター越しのマスターやスタッフの方が、ゆっくりとお話に付き合って
下さったり、また、マスターもお客さまもエポペでの30年の間に来店された
お客様を、実によく覚えていらっしゃったり…。
知らない客同士、控えめにおしゃべりに参加できる緩やかさ。
一方では自分の静かな時間をじっくりと楽しんでいらっしゃるお客様も
いらして、それはそれで善き雰囲気を醸していた。あの安らかさ。

「教会という場所がちょっと忙しすぎるかなあ。」と、私たちの教会を顧みた。
悪気はないのだけれど、初めて教会にいらっしゃった方に、後々まで気を配り続ける
ゆとりがなかったり、転入されたばかりの方に居場所を提供できなかったり…。

教会の群れを離れて、籍のある教会には決して足を運ばなかったかつての寂しさが
心に甦った。あの寂しさを長い年月にわたって味わったのは、
今日、赦されて働かされているこの日のためなのかな。

小さい私たちにできそうなことについて、
マスターは具体的なアイディアをいくつか示して下さった。
「褻(け)と晴(はれ)」という意味で、日本人には
「教会は晴の場である」という潜在意識が働いてしまうそうだ、と仰っていた。
確かにそうかも知れない。
それに別の意味で、教会という空間の中で、弱さをさらけ出したり、
本音を語ったりするのは、難しいことかも知れない。

うちのオトウチャンもOKを出してくれて、
憧れのエポペでくつろぐことを第一の目的にして伺ったはずなのに、
その信じられないほど安らいだ場所で、ついつい、
我が教会のことを考えてしまった。

つまりは、その楽しさを誰かに分けたくなったのだ。


マリンクローバーいつも、応援のクリックをありがとうございます。心の励みになります。マリンクローバー

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

banner2.gif c_02.gif



テーマ:宗教・信仰 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 今日の想い

エポペ・美しい冒険 :: 2010/04/27(Tue)

エポペ ほろ酔い加減のやなぎはっかは、
 実は、つい先ほど、
 昨夜の11時過ぎに帰宅しました。

 昨夜は、昨夜はですよ、
 友人と2人で、
 テレビでしか見たことのない
 夜の歌舞伎町に初めて足を
 踏み入れたのです。

 「ええっ? 
 よくご主人様が許してくださったわね

 はい、やなぎはっかは、こういうとき、
 「行きます!では、行ってまいります!」
 を通します。
 
目的地は、エポペ
30年前に、フランス人のネラン神父様が始められたバーです。

自分のこれまでを振り返って、やり残しが多いことに気づいたやなぎはっかが
「生きている間に(すみませんが、我が家系は長命です)、
1度は訪れたいものじゃ。」と、お邪魔したエポペは、
静かであたたかく、初めて伺った私たちでさえ、居心地のよい空間でした。

お断りして店内の写真を、と思って訪れたものの、
長年のあたたかな何かが込められた店内は、
くだらないシャッター音なんかで壊したくない「くつろぎ」を感じましたので、
撮影はしないことにしました。
どうぞ、成年に達していらっしゃる方は、ぜひ1度、実際に行ってみてください。
歌舞伎町というので、かなりの緊張をしていたのですが、
エポペの辺りまでは、世間知らずのおばはんでも、怖いという感じはありませんでした。
この付近までなら、若い女性でも大丈夫だと思います。

マスターが、私たち2人をイメージして、プリマドンナというカクテル
サービスして下さり、「お互いを豊かにするつながりと交わり」という私たちの
課題のヒントになりそうなことをおしゃべりしてくださいました。

忘れないうちに書きとめて、感じたことをまとめておかなくては。
それについては、また後ほど。

「おしゃべりが楽しかった、、誰かを誘って、また行きたいな。」
このことが大事なのだと思います。

エポペについては、こちらをどうぞ 。
エポペ
エポペ航行日誌

日本語を知らないまま、韓国からいらっしゃってわずか3カ月なのに、立派にスタッフを
務めていらっしゃったお嬢さん、作って下さったガレットが本当においしかったですよ

エポペのことは、もう1度記事を投稿する予定です。


マリンクローバーいつも、応援のクリックをありがとうございます。心の励みになります。マリンクローバー

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

banner2.gif c_02.gif



テーマ:日記 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 日々のこと

最近思ったこと、浮かんだこと、考えたこと、ひとりごと。 :: 2010/04/25(Sun)

地を這う蔦  人間には人間を裁く権利が
  ないかもしれないけれど、
  裁かれる罪はあるよね、きっと。
  誰にでも。

      ゜★・。・。☆・゜・。

  束の間の人生。
  朝から晩まで、
  他人や
  おかれた状況についての
  粗さがしと批判と、自画自賛で
  終わるのは惜しいと思うんだけど。
                                 人のことは言えないけれどね。

                    ゜★・。・。☆・゜・。

かつての師の言い回しを真似るなら、
「宇宙が世界が寄ってたかって」、次々と恵みを与えてくれている、
そう実感するときが、確かにあるなあ…。
出会い、タイミング、気づき、
そんなものが一度にやってくるときが、確かにある。

                     ゜★・。・。☆・゜・。

わが子が独立してもよい時期が来たら、
天国からわが子を見守っている自分を想像しようかな。

天国の両親は、
いつまで経っても成長しない私を、
ハラハラしながら、あそこから見つめているのだろう。

いま、子どもたちが大人になって、
親である私たちは、ハラハラしながらも、手も足も出せない。
もはや、未成年の子どもを扱うようには助けてあげられないという現実もある。

                     ゜★・。・。☆・゜・。

自分が失敗をおかしたような気がして、
また、人とのつながりを断ちたい気分になった。少しだけ。
きっと見えもせず、聞こえもしない、槍をもった尻尾のあるアイツ
私の耳元でささやいているのね。
「いや~~~すみません!
これでいいじゃない。今回は。




マリンクローバーいつも、応援のクリックをありがとうございます。心の励みになります。マリンクローバー

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

banner2.gif c_02.gif


 

テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 今日の想い

いつか、人生の危機が訪れたら。 :: 2010/04/24(Sat)

紅葉の花?

 それゆえ、
 わたしは彼女を
 いざなって
 荒れ野に導き、
 その心に語りかけよう。
  ~ホセア書 2:16~

 わたしは立ち去り、
 自分の居場所に
 戻っていよう。
 彼らが罪を認めて、
 わたしを尋ね求め
                             苦しみの中で、
                             わたしを捜し求めるまで。
                               ~ホセア書 5:15~

 わたしが喜ぶのは
  愛であっていけにえではなく
 神を知ることであって
  焼き尽くす献げ物ではない 
             ~ホセア書 6:6~



昨日から、私たちの聖書のグループはホセア書に入りました。
預言者ホセアが、多情な妻ゴメルの不忠実に苦しみますが、
彼の、妻を愛する強い愛がゆるす力となって
再び妻を迎え入れたという体験を通して、
神(夫)がイスラエル(不忠実な妻)をどれほどに愛しているかを知って、
預言します。

すなわち、イスラエルの神を裏切って、現世的なご利益を求めて
偶像崇拝に走った当時のイスラエルの民の悔い改めを、
神がどんな思いで待っているかが語られています。

私たちの聖書のグループのファシリテーターの方が、
「もしかしたら、メリメの『カルメン』などは、
ホセア書を題材に書かれたのではないかしら。」
と仰いました。…なるほど。

さて、私の感想ですが。

私くらいの年齢まで生きた人なら、
誰にでも「人生の荒れ野体験」のようなものがあるだろうと思います。

「与えられたこの自分」を容易に受け入れられない性格の私の「荒れ野体験」には、
過去にお世話になった方々への忘恩から犯してしまった行いについての苦しみも
ありますし、子どもたち、家族に辛い思いをさせたという最も大きな後悔、
ひいては、激しい自己嫌悪から、「やはり神などいない」と、
「神の民の群れ」から離れようとしたころの苦しみもあります。


そういう自分の身に起きた過去の辛かった体験を振り返って、
その時はどうしようもなく苦しかったけれど、
今、振り返ってみたら、あの時の体験がなかったら、
自分は今のような生き方はしていなかった、とか、
今のようなものの見方をしていなかった、
というようなことが誰にでもあるだろうと思います。

例をあげることは控えますが、1歩、家の外に出ますと、
「母親としてこれ以上の苦しみはないだろうな。」
という厳しい現実と向かい合っている方々と、たびたび出会います。

それを思いますと、私が味わってきた苦しみなど、苦しみと呼ぶのも
おこがましいのですが、それでも敢えて述べますと、
自分が苦しかったときには、
きっと、神さまが私を荒れ野に導いて、
私の心にとって必要な何かを語りかけて下さっていた
のだろう、
また、私もその苦しみにおいて、神を捜し求めていたのだろう、と思います。

ついつい、子どもっぽさから、昨日まで学生だったような錯覚に陥る私ですが、
日ごとに体力的な老いを意識するこの年齢に達しますと、
これからは、今までとは違う痛み、苦しみ、思いがけないできごとが訪れる覚悟も
求められてきます。

人生における何度目かの新しい危機を迎える日が来たら、そのときは、
過去の「人生の荒れ野体験」を無駄にしないで、もしも赦していただけるのなら、
「どうして自分がこんな目に遭わなくてはいけないのか」
というような弱音を吐かずに、そのできごとを通して語られる
神さまのメッセージを読み取れたら、
自分の人生を、素晴らしいと感じることができるのかもしれません。

自分の目の前の、目に見えることに囚われて、心が騒ぐときに、
そのときの自分が主によって荒れ野に導かれていることを思い出し、
試練において、神を見出せるようでありたいなあ、と思いました。

昨日、ふっと思いました。
人間が赦されて、
この世で何らかの「はたらき」が出来る時間は、
案外短いのかもしれませんね。


マリンクローバーいつも、応援のクリックをありがとうございます。心の励みになります。マリンクローバー

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

banner2.gif c_02.gif



テーマ:宗教・信仰 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 今日の想い

「わたしは、わたし。 あなたは、あなた。」―友情の礎― :: 2010/04/22(Thu)

白い花


 どのようなときも
 友を愛するなら
 苦しみの時の
 兄弟が生まれる

     ~箴言 17章~


  
                

             そうだ。
             寂しさを忍ぶということ。

             それは、
            「境界を築く」ことに
             つながっているのかも知れない。

             人にどう思われるかの
             思い煩いから、
             誰かれなく、
            「おともだち」として受け入れ、
             自らの意思に目をつぶること、
             果ては、
             自らに意思があることをさえ、
             無視すること。
             寂しさという思い煩い。

             寂しさを忍ぶこと。
             真(まこと)の友情の礎。
             

マリンクローバーいつも、応援のクリックをありがとうございます。心の励みになります。マリンクローバー

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

banner2.gif c_02.gif



テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 未分類

生きることが楽になったとき :: 2010/04/21(Wed)

菜の花 私が好きなある集いで
 必ず顔を合わせる年長の方がいる。
 なぜか私に対して、
 優等生を一方的に評価するような
 接し方をなさるので、
 その言葉が心に重くて、
 しばらく顔を出さなかった。

 友だちからは愛されなかったけれど
 教師からだけは信頼された
 子ども時代を
 心のどこかで思い出すのだろうか。

「今日の私には、それに耐える力がある」と、
私を自分の生徒のように思っている、その人がいる集いに出席した。

集いが終わって、その人に対して私が抱いている気の重さを知っている友人Aさんが、
「大丈夫だった?」と、そっと尋ねてくれた。

「大丈夫。今の私にはちょっとゆとりがあるの。」と答えると、
「やなぎはっかさん、以前に比べて、ずいぶん落ち着いたわね。」と、喜んでくれた

「私がいちばん苦しかったあのときに、心が乱れた私を赦し、辛抱強く
 こんな私なんぞと付き合って下さったAさんのおかげですよ。」

私の人生の旅路で、偶然のように出逢い、私に何らの義理もないのに
私の最も醜い有り様を、私とともに耐えてくれた人。

そういう友を人生のある時期に、与えられることがあるとしたら、
そのときはきっと、「あなたも同じようになりなさい。」というメッセージを、
その人を通して神がお伝えになりたいのだと感じている。
神が私にそう望んでいらっしゃるからだと感じている。

一人の人間の人生は、こうして変えられていくのかもしれない。

何ごとも、私が出来る範囲で、完全に、ではあるけれど。


マリンクローバーいつも、応援のクリックをありがとうございます。心の励みになります。マリンクローバー

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

banner2.gif c_02.gif



テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 未分類

寂しさを忍ぶ :: 2010/04/19(Mon)

やえざくら
 わたしは
 私に対して尋ねます。

 私のこれまでを振り返って、
 誰か1人でも、
 完全に愛し抜くことが
 出来ただろうか、と。

 そのために
 他の誰か1人にでも
 寂しい想いをさせることなく、
 他の誰か1人にも、
 何らの犠牲を強いることなく、


      何より、
      大切にしたいその人を
      一瞬も傷つけることなく、
      愛し抜くことが出来ただろうか、と。

      私は思い知ります。

      人は、
      たった1人についてさえ、
      自分にゆるされた分だけしか、
      愛することが出来ないということを。

八重桜     「寂しさは、人間の本能だ」と、
      教えられたことがありました。
     「だから、人間は誰も
      人から愛されたいのだ」と、
      教えられたことがありました。

      誰も、誰でも、
      私がまぶしいまでに
      羨ましいと感じてきた、
      自分の足で
      大地にすっくと立っている
      あの人も、
      こころの芯に
      人知れぬ寂しさを秘めて
      苦しみつつ、耐えているのでした。

                        寂しさは、
                        闘うものというよりも
                        耐えるものなのかも知れません。
                        この心の中にもあることを認めて、
                        耐えるものなのかも知れません。

                        寂しさを胸に納めて、
                        耐えることを繰り返すうちに
                        私の気持ちは楽になり、
                        いつの間にか、「輪」に加えられ、
                        私のために苦しんだ身近な人々から、
                        悲しみの混じった怒りと無理解とが
                        少しずつ、少しずつ、
                        けれど、
                        確かに消えようとしています。


マリンクローバーいつも、応援のクリックをありがとうございます。心の励みになります。マリンクローバー

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

banner2.gif c_02.gif



テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 未分類

ご主人を亡くされた「お節介オバサン」 :: 2010/04/18(Sun)

目黒川 しんしんと冷える数日が続くと
 次は汗ばむ陽気。
 私の周りには体調を
 崩している方が
 何人かいらっしゃいます。

 実家のご近所の方が
 急に亡くなられたのも、
 この不順な天候のせい
 かもしれません。

「○さんが亡くなったので、
 お葬式のお手伝いがあるから、
 福島県の滝桜見物は中止になるわ。」

 兄嫁からのいきなりの訃報に、
 初めはぽかんとし、
すぐ様お香典の立て替えを頼み、その次に
「やっぱりお線香だけでもあげさせてもらう。そっちに行くわ。」と、
私の気持ちがくるくる変わったのは、○さんが亡き母の愚痴をいちばん聞いてくれた
「近所のお節介オバサン」のご主人様だからです。

父も母も「こうあって欲しい」という過剰な期待を、
目の前の相手に抱くタイプの人でしたから、
両親の目に完全にかなった同居人となることは誰にとっても難しいことでした。
ですから、同居していたとはいえ、兄夫婦は次第に両親の部屋を遠ざかり、
特に、両親の口から飛び出す愚痴の類には耐えられない様子でした。
毎日のことでしたから。
三っ池公園
そういう母にとって、
○さんの奥さんは文字通り、
「遠い親戚より、近くの他人」的な
人でした。

血が通っていない他人であったことが、
とても大事なことだったのだと思います。
私にも思い当たることなのですが、
血が通った親子同士ですと、
子どもの側でも期待してしまうのです。
「悪口は話がエスカレートするに従って、
話す人の表情をどんどん醜くするもの
だけれど、自分の両親の顔に
そういうものが浮かぶのを
認めたくない、醜い言葉を
聞きたくない」と。

○さんの奥さんは、そういう母を許してくれる人でした。
医師から禁止されていた「甘いもの」を持って、自宅療養中の母の部屋を訪れ、
母との静かな時間を、○さんの奥さんは過ごしてくれたようでした。
○さんの奥さんのこの告白に、母が亡くなった直後、
「こうなるなら、好きなお菓子を心ゆくまで食べさせてあげたかった」と
後悔した私は、ずい分とホッとしたものでした。

本当に、○さんの奥さんは今どき珍しい「お節介オバサン」。
他人から干渉されたり、意見を押しつけられたりすることが嫌いな私ですが、
○さんの突然の訃報に、
「○さんちのオバサン、今、どんな様子だろう?」と、
ふるさとに駆けつけたい気持ちになってみて、「お節介オバサン」を醸成する
ご近所同士のつながりの良さを改めて感じました。

母が仲良くしていただいた感謝を込めて、○さんにお線香をあげに行ってきます。
私はお節介オバサンになれそうにもありませんので、
○さんの奥さんを慰める言葉を見つけることはできないかもしれませんが。


マリンクローバーいつも、応援のクリックをありがとうございます。心の励みになります。マリンクローバー

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

banner2.gif c_02.gif



テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 今日の想い

できることの一つ一つに。 :: 2010/04/17(Sat)

東京タワー 2 

 お前たちは正しい者に
 敵対し、賄賂を取り、
 町の門で貧しい者の
 訴えを退けている。
 それゆえ、知恵ある者は
 この時代に沈黙する。
 まことにこれは悪い時代だ。

   ~アモス書5:12,13~



 そんな悪い時代にあっても、
 アモスは沈黙することなく、
 託された神のみ言葉を、
「この国は彼のすべての
 言葉に耐えられません。」
 と言われるほどに述べ続けました。

 読みながら、現代で言うなら
 アモスという人はどんな人だろうと
 考えました。

たとえば、正しいことは分かっていても、普通の人にはなかなか実行できないような
生活を実践している人。

そういうあり方について、口だけで称賛するだけの私を、
人類の将来を憂えるあまり「吠えるように」非難する人がいないことは、
私にとっては幸いなことですが、そういうタイプの人かな、と思いました。

映画「ブラザー・サン、シスター・ムーン」で、
清貧に徹する聖フランシスコに、
良心がうずいた聖職者は自分の贅沢さを恥じて目を伏せました。
映画の中の聖フランシスコを厳しくしたような人かな、とも思いました。

また、大昔のことですが、すでに故人となられた神父様が、
「教会が世の世俗的な部分に迎合する傾向が見えてくると、
 そのことへの警鐘として新しい修道会が生まれます。」と
話して下さったことも思い出しました。

自分の生活全体を正そうと突きつめていきますと、
「まことの正義」と「社会と協調する必要」のはざまで、
私は自分の限界を思い知るばかりです。

それで結局、自分にできることの一つ一つに誠実であることを目指すことで
精いっぱいなのではないだろうか、という結論に至ります。
あまりに厚くて高い限界の壁の前で立ち尽くすよりすべのない者として、
小さい、小さい、まことに小さい自分に出来ることについて、
神の御目に適うことをする以外に、私に出来ることはありません。

人間である私に対して、神さまは立派な行いなど、
全く期待してはいらっしゃらないのですし。

        ・・・・・・------

新学期とともに「聖書の分かち合い」の時間が戻って来ました。
またまた、運動不足と睡眠不足の日々が始まりました。^^;

初めて読んだ「アモス書」。私の心に響いた箇所。

地上の全部族の中からわたしが選んだのは
お前たちだけだ。
それゆえ、わたしはお前たちを
すべての罪ゆえに罰する。
            ~3:2~ 

しかし、お前たちはわたしに帰らなかったと
主は言われる。
       ~4:6,8,9,10,11~

わたしを求めよ、そして生きよ。
       ~5:4~
 
主を求めよ、そして生きよ。
       ~5:6~

お前たちが生きることができるために。
       ~5:14~




マリンクローバーいつも、応援のクリックをありがとうございます。心の励みになります。マリンクローバー

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

banner2.gif c_02.gif



テーマ:宗教・信仰 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 今日の想い

「輪になって」 :: 2010/04/15(Thu)

          輪になって

       教会のイベントの案内状用に…と必要があって、久々に描いてみました。
       印刷の具合などで、 教会ではボツになるかもしれませんので、
       こちらでUPしました。
       
       タイトルは「輪になって」
       子どものときにテレビから流れてきた江間章子作詞、團伊玖磨作曲の歌、
      「花の街」の歌詞の一部、『輪になって、輪になって…』をイメージしました。
       


マリンクローバーいつも、応援のクリックをありがとうございます。心の励みになります。マリンクローバー

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

banner2.gif c_02.gif



テーマ:イラスト - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. わたしの作品

わたしであることを赦せないとき :: 2010/04/11(Sun)

           明治神宮 宝物殿への道にて

           そうだ。
           
           わたしの体が痛かったり、
           わたしの不十分な視力が、
           わたしをてきぱきと行動させてくれないとき、
           いくつもの自責の念につぶれそうになって、
           わたしがわたしであることを赦せないとき。
     
           それは、
           「外側に取っ手が付いていない扉」を
           そっと叩く主が、
           わたしに向かって
           必死に呼びかける瞬間なのかもしれない。

           このわたしに、
           どうしてか、今日、わたしに
           ご自分に気づいて欲しくて。

           何となく、そう思った。

       後記:これは今後推敲を重ねるかもしれません。           


マリンクローバーいつも、応援のクリックをありがとうございます。心の励みになります。マリンクローバー

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

banner2.gif c_02.gif



テーマ:宗教・信仰 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 日々のポエム

子どもたちから贈られたもの その15 :: 2010/04/10(Sat)

               東京タワーと鯉のぼり
      ↑東京タワーの下で泳ぐ鯉のぼり(写真提供/メタボなパートナー)



虚像 「強い人は虚像を見ている
 だけのような気がします。
 本当は皆小さいのです。
 自らの矮小さに気づいて
 神さまに頼るには、
 苦しみと痛みを通るしか
 ないのではないでしょうか。」


←この言葉に添えられていた鉛筆画


 探し物をしていたら、
 「あしあと」/ドン・ボスコ社
 という、薄い薄い冊子に
 挟んであった鉛筆書きの
 紙片を見つけた。

私が心のバランスを崩してとても苦しかったころに、娘からもらったことを思い出した。
あの子は大学生だった。

私が大事にしている「リジューの聖テレーズ」の言葉を、いくつも選んで
書き写してくれていた。
そのときの私に必要だと感じた言葉を、私がすでに知っていることは承知の上で
書き写した…そう、書かれていた。

そのころの私の苦しみに対する気遣いと、私がいかに大事な存在であるかを
若い人の文字で、丁寧に丁寧に綴ってくれていた。

ああ、こんな苦労を、小さいときから何度もさせてきたのだなあ…。
この愚かな母親は。



マリンクローバーいつも、応援のクリックをありがとうございます。心の励みになります。マリンクローバー

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

banner2.gif c_02.gif



テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 未分類

ε=ε=ε=ε= ヽ(。・∇・)ノ タタタ・・・。゜.☆ドロン♪  :: 2010/04/09(Fri)

↓明治神宮・宝物殿付近
明治神宮 宝物殿付近 

 「人を恐れると
  わなに
  かかる。
  しかし
  主に
  信頼する
  者は
  守られる」
   ~箴言
     29:25




過去何年かの間の自分の周囲を振り返って、人間を恐れると自分が不自由になることに
比べて、神という存在は、何と多くの自由をもたらしてくれるのだろうと考えていたら、
上記のみ言葉を「引き当てた」

明治神宮 宝物殿付近 1-4
神は私のように
器が狭いものに
逃げ道まで
用意して
下さるから、
私は他人の
目を恐れず、
逃げること
の方を選ぶ。

必要な試練は
いずれまた
神が
用意して下さる。私のために。

だから今は、神が備えて下さった逃げ道を、意地悪な反感を恐れず、
勇気をふるって進むのだ。  
私は義務を果たして来たのだから。

これ以上、彼らに応えること、私の分を超えて今以上の無理を試みることは、
神のお望みを超えたこと、傲慢なのだ。            

かつて、私の師は仰った。
「良いメガネを持ちなさい。苦手なあの人が向こうから来るのを少しでも早く見つけて、
 身を隠すことができるように。」と。

また、敬愛するリジューの聖テレーズは、怖い修院長の小言を避けるために
階段を駆け下りて逃走した…。

あとのことは、神さまが何とかして下さるのだ。       主に感謝。



マリンクローバーいつも、応援のクリックをありがとうございます。心の励みになります。マリンクローバー

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

banner2.gif c_02.gif



テーマ:宗教・信仰 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 今日の想い

「神の愛とキリストの忍耐とを」 :: 2010/04/08(Thu)

         今年の六本木1丁目付近の桜です。↓ 
         roppongi.jpg

いつも気にかかるのに、心にブレーキがかかって、ある人に対して、
どうしても素直になれないことがある。
「どうして、その程度のことを言われたからといって傷つくのかなあ。」と、
私の内面の大人になれない部分をたしなめたいが、
思った通りに感情は動かない。

年老いた修道女がいる。
異動で25年も関東を離れていたが、それでも手紙で電話で、もう30年以上の
お付き合いになる。
30年以上も前から、この方は私の母親役を自認している。私の母がぴんぴんしていたときも。
私が、自分の内的な傷に気づかずに、母がいかに理想的な母親であるかを、
この方に語り聞かせていたあの頃からも。

しかし、残念なことに、この方は自分の子どもを育てた経験がない。
マニュアル通りにことが運ぶわけではない、わが子との感情的な衝突ひとつ体験せずに、
大好きな読書で培った、あるいはどこかの講話で獲得してきた、目と耳で取り入れた情報を
体験と勘違いして、私が何でも遠慮なく相談を持ちかけることを期待してきた。
そのアドヴァイスのほとんどが的外れだった。
因みに、キリスト教で言う「罪」という言葉には、もともと「的外れ」という意味があったと
聞いている。

心に自覚のない傷を持っている私は、そういう者としての方程式通りに
その期待に応えなければと努めたものだった。
決して威圧感のある人ではなかった。むしろ、物静かで、かわいらしい人である。
もしかしたら、この人を傷つけてはいけない、という気持ちが私の中に起こるのかも知れない。
私はクリスチャンなのだから、と。

この方が、ほぼ四半世紀ぶりに年老いて東京の修道院に戻ってきた。

あのころは、実家の父は癌を病みながらも普段の日常生活を送っていて、
娘としての義務感、罪悪感に気持ちを苛まれ、
アクセスの悪い実家にそうそう帰ることもできず、
わが身の立場の不自由さを恨めしく思っていたのだ。
せめて、このシスターに孝行すれば、孝行してあげられない父が実家で大事に
されるのではないかしら…と、シスターへのお土産などを携えて、老人介護施設と化した
修道院を、呼ばれるままに2週続けて訪れたのだった。

シスターは、平均年齢がすっかり高くなった修道院の施設内を案内してくれて、
他のシスターと顔を合わせるたびに、自分に訪問者がいることを誇るかのように、
私のことを紹介した。
そんな様子に高齢化した修道院の修道女たちの寂しさを感じて胸が痛んで、
状況的に無理だけれど、話だけは伺うつもりで、修道院の一部となっている
老人施設の部分でのボランティアの仕事内容を、スタッフが話すままに聞いていた。

どういうことだったのだろう。どういうおつもりだったのだろう。
シスターがまったく唐突に、スタッフの方に向かって言った。

「◎○さん、気が利かないよ、この子。」

小さいときから、気が利いていることを人一倍求められ、
そのことに疲れ果ててきた私のことをである。
そんな私の心の歴史を知らなかったとはいえ、その言葉に自分の内面の何かが
切り刻まれた想いがした。

それ以来、何となくこの方を訪れる意欲がなくなった。
義務感から訪問を考えるのだが、それだけで心のシャッターが、
ギロチンのようなスピードで落ちてきて、私の心を遮断してしまう。
この方が骨折して手術を待っていると聞かされても、私の心は閉じたままだった。
もっとも、そのころ、実家の父を訪れる機会が増えてもいたのだが。

昨日、この方にもイースターカードを書きながら、「電車に乗れば1時間もしないで
訪ねていけるのに。」と自分の冷徹さを責めていた。
「生前の父母のところにさえ十分に行ってあげられなかったのに、外面なんかよくして」
という後ろめたさもあった。
老いたシスターへのイースターカードには、訪問できない理由ばかりを書き連ねている。
そんなことで気持ちを重くしていたとき、ふっと思った。

確かにあのとき、私は失礼なことを言われたのだ。私は怒ってもいいのだ。

こうして、イースターカードを忘れずに書いていることだけでも、私は自分を認めてもいいのだ、と。

キリスト者としては、もう少しの成長を期待されるのかもしれない。
でも、私は自分を赦せるまでになったのだ。

シスターがどんなにご高齢でも、この世でのお互いの時間がどんなに残っていなくても、
今はまだ、お顔を合わせてお話しする軽やかさが私にはない。
会いに行けない代わりに、私はシスターのために祈ってみよう…。

   「どうか、主があなたがたの心を導いて、
      神の愛とキリストの忍耐とを持たせてくださいますように。」
                        ~Ⅱテサロニケ 3:~ 


                 「あなた方の心」とは、この私自身の心のことである。

マリンクローバーいつも、応援のクリックをありがとうございます。心の励みになります。マリンクローバー

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

banner2.gif c_02.gif



テーマ:思うこと - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 未分類

イースター・カード :: 2010/04/05(Mon)

              
              遅ればせながら、今ごろになって、やっと
              イースター・カードに取り掛かっています。

              復活祭までの忙しさが去って、
              今度は日常の忙しさが戻って来ました。

              忙しがりながら、疲れを取って、
              ぼちぼち更新させていただきます。


マリンクローバーいつも、応援のクリックをありがとうございます。心の励みになります。マリンクローバー

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

banner2.gif c_02.gif

           


テーマ:日記 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 復活祭

復活の主日 :: 2010/04/04(Sun)

2010 イースター・e
  Happy Easter

それから、先に墓に着いた
もう一人の弟子も入って来て、
見て、信じた。

イエスは必ず死者のうちから
復活されることになっている
という聖書の言葉を、二人は
まだ理解して
いなかったのである。

    ~ヨハネ福音書20章~



      
↓今年のわが家のイースターエッグです。
2010 easter egg 復活徹夜祭のミサでは、
 私たちの教会では
 小さなお子様から
 「元・お子様」まで
 19人の方が洗礼を
 受けられました。
 神父様が受洗者の
 1人1人の洗礼名の
 に選ばれた聖人の
 祝日と、その聖人が

どういうことで助けてくれるを教えてださいました。

ちなみに、パドバの聖アントニオは紛失物を探してくれますよ。

復活の主日は復活祭のパーティーの準備に参加します。
私、キッチンで邪魔にならなければいいのだけれど。


マリンクローバーいつも、応援のクリックをありがとうございます。心の励みになります。マリンクローバー

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

banner2.gif c_02.gif

  

テーマ:宗教・信仰 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 復活祭

復活徹夜祭 :: 2010/04/03(Sat)

           六義園・しだれ桜↓
           六義園

            わたしたちは洗礼によってキリストとともに葬られ、
           その死にあずかるものとなりました。
           それは、キリストが御父の栄光によって
           死者の中から復活させられたように、
           わたしたちも新しい命に生きるためなのです。
           もし、わたしたちがキリストと一体になって
           その死の姿にあやかるならば、
           その復活の姿にもあやかれるでしょう。
                      ~ローマの信徒への手紙 6:4,5



     
          今日、あるいは明日のミサで
              洗礼を受けられるみなさま、
                      おめでとうございます。
          

           今夜のミサと、明日のミサのあとの復活祭のパーティーでは、
           「ねこの手の方が何万倍もマシ」のはずの私でも
           お手伝いに駆り出されています。
     
           皆さま、良い復活祭を!            

                             賛美と喜びのうちに。 


マリンクローバーいつも、応援のクリックをありがとうございます。心の励みになります。マリンクローバー

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

banner2.gif c_02.gif

  

テーマ:宗教・信仰 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 復活祭

聖なる過越しの三日間「聖土曜日」 :: 2010/04/03(Sat)

            江川 桜のプロムナード 3
            教会は、聖土曜日には、主の墓のもとにとどまって、
            主の受難と復活をしのび、祭壇の飾りを取り除き、ミサもささげません。
            キリストが墓に葬られたあとの大安息日として、エルサレムでは、
            一日中復活徹夜祭の準備をしました。
                          ~女子パウロ会ホームページより~


血にまみれたわが子を胸に抱いて、
聖母マリアは振り返ったことでしょう。

「マリア、恐れることはない。あなたは神から恵みをいただいた。
 あなたは身ごもって男の子を産むが、
 その子をイエスと名付けなさい。
 その子は偉大な人になり、いと高き方の子と言われる。
 神である主は、彼に父ダビデの王座をくださる。
 彼は永遠にヤコブの家を治め、その支配は終わることがない。」(ルカ1:30-33


天使ガブリエルが、かつてご自分にそう告げられたことを。

また、神殿にイエスを奉献するとき、
この幼いわが子について、老人シメオンが言った言葉を。

「御覧なさい。この子は、イスラエルの多くの人を倒したり
 立ち上がらせたりするためにと定められ、
 また、反対を受けるしるしとして定められています。
 ―あなた自身も剣で心を刺し貫かれます―多くの人の思いが
 あらわにされるためです。」(ルカ2:34,35


十字架からおろされたわが子の血をぬぐいながら、
聖母には、さまざまな思いが去来したことでしょう。
私がこの場面を物語にするなら、
マリアに何と語らせようか、
私はこのことを黙想しながら、今夜の徹夜祭を待ちます。

ミケランジェロ作:「ピエタ」にリンクします。⇒(参考:サルヴァスタイル美術館


マリンクローバーいつも、応援のクリックをありがとうございます。心の励みになります。マリンクローバー

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

banner2.gif c_02.gif

  

テーマ:宗教・信仰 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 復活祭

「 父がお与えになった杯は、飲むべきではないか」 :: 2010/04/02(Fri)

        ↓江川せせらぎ道・桜のプロムナード(全長580m) 2010.4.1.
        江川 桜のプロムナード 2

              2010年4月2日
                聖金曜日の福音書


               「あなたが与えてくださった人を、
                わたしは一人も失いませんでした」
                と言われたイエスの言葉が実現
                するためであった。

               「剣をさやに納めなさい。
                父がお与えになった杯は、
                飲むべきではないか。」
                               ~ヨハネ18章~



信頼している人に、自分を理解する能力がないということ。

自分を信じると真剣に誓った人から、裏切られるということ。

信頼してきた身近な人びとに、自分を弁護する勇気がないということ。

「愛して、この上なく愛し抜いた」人びとから、
死に渡されようとしている自分のことを「知らない」と言われるということ。

これと同じ想いを、気づかぬ間に、私も誰かにさせているかもしれない。

この世にいらっしゃった間、そのすべて見抜いた上で、
人間のそんな弱さを知り抜いた上で、
イエスは弟子たちを愛し抜かれた。

今、弟子だと自称するこの私のことも。

「あなたも、あの人の弟子の一人ではありませんか。」
 ペトロは、「違う」と言った。
 僕(しもべ)や下役たちは、寒かったので炭火をおこし、
 そこに立って火にあたっていた。
 ペトロも彼らと一緒に立って、火にあたっていた。

 シモン・ペトロは立って火にあたっていた。
 人々が、「お前もあの男の弟子の一人ではないのか」
 と言うと、ペトロは打ち消して、「違う」と言った。

 大祭司の僕の一人で、
 ペトロに片方の耳を切り落とされた人の身内の者が言った。
「園であの男と一緒にいるのを、わたしに見られたではないか。」
 ペトロは、再び打ち消した。

 するとすぐ、鶏(にわとり)が鳴いた。
                                    ~ヨハネ18章~



後記:>弟子だと自称するこの私のことも。

   「イエスの弟子を自称する権限」など、
    私にはありませんね。
   
    「わたしたちが神を愛したのではなく、
     神がわたしたちを愛して、
     わたしたちの罪をつぐなういけにえとして、
     御子をお遣わしになりました。
     ここに愛があります。」(ヨハネの手紙Ⅰ)


     私を弟子にしてくださったのは主であり、
     私が弟子になったのではありません。 
    
さて、本日、真面目なカトリック信徒ほど、腹ペコです。
今日、「聖金曜日」は、四旬節の始まりの「灰の水曜日」と同じく、
大斎・小斎を守る日です。
身近にカトリック信徒がいらっしゃったら、
どうか、心やさしいその人の「引きつった笑顔」のワケを察してあげてください。


マリンクローバーいつも、応援のクリックをありがとうございます。心の励みになります。マリンクローバー

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

banner2.gif c_02.gif



テーマ:宗教・信仰 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 復活祭

「世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた」 :: 2010/04/01(Thu)

b.jpg

2010年4月1日「聖木曜日」の
福音書(ヨハネ13:1-15)


イエスは、この世から父の
もとへ移る御自分の時が
来たことを悟り、世にいる
弟子たちを愛して、
この上なく愛し抜かれた。

ペトロが、
「わたしの足など、決して
 洗わないでください」
と言うと、
イエスは、
「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと
 何のかかわりもないことになる」
と答えられた。

主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、
あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。



イエスの時代には、足を洗うことは召使いの仕事だったそうです。
3月23日の記事で、私は今日の聖木曜日のミサの「洗足式」の
「足の要員」に駆り出されそうになり、困り果てたことを書きました。
このときの弟子たちも、常日頃「主である方」と心から敬っていた
イエスが、自分たちに仕える者のように足を洗うということを、
どう受けとめてよいのか分からないほどに、恐縮したことでしょう。

つい遠慮したペトロは、イエスから突き放されたような言い方で
たしなめられました。

「もしわたしがあなたを洗わないなら、あなたはわたしと
 何のかかわりもないことになる」
と。

…そ、そんなぁ…。

弟子たちは、師イエスに仕えられることで、自分たちが大切にされることを
心の芯まで、骨の髄まで感じ取ったことでしょう。理屈抜きにそれを
実感するため、「知る」ために、イエスに洗っていただくことは
必要なことだったのでしょう。
たまたま3月23日の記事を読んで下さった、洗足式で足を洗っていただいた
ご経験のある信徒の方が、その圧倒的なご体験を話してくださいましたが、
これは本当に「体験」なのだと思います。

私はただただ、臆病で気弱なだけのオバチャンにすぎませんが、
こんな私を仮にも「優しい」だの「親切」だのと誉めてくださる方が
いらっしゃるとすれば(ほとんどは勘違いですが)、それは、
辛いことが瓦礫のように積み重なった記憶の隙間に、親から、家族から
自分が大事にされた確かな体験が埋もれているからなのかもしれません。

そして、
「主であり、師であるわたしがあなたがたの足を洗ったのだから、
 あなたがたも互いに足を洗い合わなければならない。」と、
イエスが仰ったように、母親の愛に圧倒されつつも教えられた記憶が
「瓦礫の隙間」で生きているのかも知れません。

「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」

ああ、きっとそうでしょう。


マリンクローバーいつも、応援のクリックをありがとうございます。心の励みになります。マリンクローバー

にほんブログ村 哲学・思想ブログ 聖書・聖句へ
にほんブログ村

banner2.gif c_02.gif



テーマ:宗教・信仰 - ジャンル:学問・文化・芸術

  1. 復活祭
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。