風が往き交う場所

カトリックなおばはんの日々の戯書きです。                                   




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雑感 :: 2010/03/31(Wed)

相手を赦すということは、
相手が神ならぬ不完全な存在であることを認めることなのかも知れない。
赦し合うということは、
お互いが不完全な存在であることを認め合うことなのかも知れない。


昨日心に浮かんだことを、もう1度振り返ってみる。

「お互いが不完全な存在であることを認め合うこと」
それは、理解し合うということ?

そういえば、ベトナム人の高名な禅僧ティク・ナットハンは、
理解することは愛することと同じことだと言っていたのではなかったかしら。

「愛する」という分かりにくい言葉を、この10年ほどだろうか、日本のカトリック界は
「大切にする」という言葉に言いかえることがある。
私もこの言葉に置きかえるようになったら、何となく実感が湧くようになったかな?


                           

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  1. 未分類

自分を赦すということ。  その2 :: 2010/03/29(Mon)

枝の主日 「枝の主日」だった昨日は、
 母の祥月命日でもあった。
 実家には先週、彼岸で
 墓参に行ったばかり
 だったし、もともと教会に
 用事があった。
 その上、夫が急に出張する
 ことになって、
 飛行機嫌いの私は、
 これから飛行機に乗る人を
 きちんと送り出さなくては
 気が済まず、何となく
 里帰りしての墓参を
 あきらめた。

↑マリア像も棕櫚で飾られて

実家が近くにあったら、無理をしてでも、帰省したのかもしれない。

夫を送り出し、子どもたちとの夕食も済ませて、独りになって、
娘である私にこんな記事を書かれている
可哀想な母を思いながらロザリオ1環を祈った。

どう思い起こしても、
私の両親は「アダルトチャイルド製造機」のような夫婦だったかな、
と悲しい気持ちで、もう1度事実を認めてみる。
そして、「赦す」「自分を赦す」ということを今1度考えた。

相手を赦すということは、
相手が神ならぬ不完全な存在であることを認めることなのかも知れない。

母があまりにも出来た人で、周囲の尊敬を集めたので、
私は長いこと、母を神のように敬っていた。
母の目に適うこと、母にほめられることが
私の誇りだった。ずい分長いこと。
母の理想通りに出来ず、ずい分と心ない言葉をぶつけられながら、
出来ない自分を責めていたように思う。

母もまた、自分の両親を神のように敬愛していた。
そういえば、父もそうだった。

私は子育ての最中に心のバランスを崩して、
自分の心の傷に気づくことができたけれど、
両親は死ぬまで、自分の内面に隠れた傷について
考えたことがなかったらしい。
                            ↓我が家にも。
2010 枝完全な人間はいない。
自分の不完全さを認めることは、
私のような心の傾向がある者には
容易だが、これまでを振り返ると、
私は自分の周囲の人々を理想化し、
その1人1人が完全であることを
期待しすぎて成長したように思う。
自分以外は、「聖人」か悪者かの
どちらかに色分けする傾向が
あったかもしれない。

兄はとても虚弱に生まれた。
「大人になるまで生きて
いてくれたら、それでいい。」と、
兄と母の関係は、私よりは楽だった。
父とのそれは、兄も大変だったけれど。

たまたま健康に生まれ、
こまっしゃくれた女の子なので兄よりはしっかりしていた私に、
多分、母は「完全な人間」であることを期待し、そうでないので落胆したのだと思う。

そして、私も自分が実は「神のような母」によって、
傷ついてきたことを認めたときから今まで、
自分の弱さを、ためらうことなく私にぶつける母の不完全さを
認めていなかったのだと思い当たった。

重ねて書きたい。
相手を赦すということは、
相手が神ならぬ不完全な存在であることを認めることなのかも知れない。
赦し合うということは、
お互いが不完全な存在であることを認め合うことなのかも知れない。

                   
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自分を赦すということ。 :: 2010/03/28(Sun)

c.jpg
 日ごろ、仲良くして下さっている
 レインボーさんがご自分のブログに、
 「記憶の意味」と題した記事を
 お書きになりました。


 拝読してすぐに
 かつての師の一つの言葉が
 心に甦りました。


 今までいろいろな方に
 お話ししているので、
 もしかしら、ここでも
 過去にご紹介したかも知れません。
 
それは、ある観想修道会が開いていた日帰り黙想会でのことでした。
短い瞑想の指導をされるとき、その神父様は、おおよそ次のように仰いました。

「過去を振り返って、自分の嫉妬や悔しさや、その他、
 良くないと言われる感情に基づいて行動していたことがあったとしても、
 そのことで自分を責めないでください。悪いことだと思わないでください。

 その時、あなたにとってはその感情が必要で、
 あなたはその感情に支えられて、生きていたのかも知れないのです。

 今、過去のそういう感情に気づいて、
 もう、今の自分にそれが必要のないものだということに気づいたなら、
 感謝を込めて、その感情を大地に戻してあげましょう。」



レインボーさんがお読みになったご本には、
 
 記憶というものは、
「その時楽しいか嫌かというよりも
 現在の自分にとってその出来事が何らかの意味を持っている場合に
 記憶として残っていくといえるのかもしれない。」

ということが述べられていたそうです。

それを読まれたレインボーさんは、それまで苦々しく消し去りたい思い出だと
感じてきた過去の記憶の中に、実は辛いことばかりではなく、
あたたかい出来事がちゃんと隠れていたことに思い当たったというのです。

この記事をプリントアウトして、私はもう1度、レインボーさんのお話を味わいました。
そして、

>私にとってあの場所は、ある意味人生を相手にたった一人で闘っていた場所。

>今振り返ると、私はこうまでしてあの場所を訪ねてみたかったのですね^^

>思い出話に花が咲き、懐かしさに胸が震え・・・
>また、あの頃の自分をねぎらい温かい涙を流せた。。。

>決してあの場所は私が一人で闘っていた戦場では無かったのだと。

>だから
>記憶に残っている事は、現在の私にとって何かしら意味のある事なのかも知れない


という部分にラインマーカーで線を引きました。

確かな足音を聴いているようで、
私の心にも、あたたかなものが流れてくる思いがしました。

母が私に示した愛情は、どうせ自己愛の裏返しなのだ、
という失望感と痛い記憶の内側に、レインボーさんが発見したような
あたたかい事実が隠れているのだろうかと思いました。

若いときから、私の自己評価の低さについて、
何人もの方から「自分を赦しなさい。」と言われたものでした。
私には理解しがたい言葉でした。

けれど、私の瞼にふっと、
記憶の中で、過去のそのときそのときをあたたかい想いで過ごしている
「幼いレインボーさん」あるいは「学生時代のレインボーさん」が、
今のレインボーさんを赦している光景が浮かびました。

ご自分のとても大切な出来事を、読者の私たちに分けてくださったレインボーさん。
もしかしたら、このお話は、私の回復にとって重要なはずの「自分を赦すということ」
「知る」よすがになるのかも知れません。


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「おみ足拝借?」 その後(^^ゞ :: 2010/03/27(Sat)

春を待つ ビードロ皆さま、ご報告です

例の洗足式の件
やなぎはっかのどた足は、
やっぱり、いらんと、
「返品」になりました。

昨年の復活祭の後、
私たちの教会にいらっしゃった
主任司祭は、
「より多くの方が典礼に参加を。」
というお考えの方で、
その分、「声かけ役」の
負担も増えるのですが、
「今年は洗足式に中高生も
参加させて下さい。」

との要請があったそうです。

「そんなの、無理よ~」と、
まずは昨年、同じご依頼を、けんもほろろにお断りした私にまで
お声がかかったようなのですが。

でも、協力を仰いでも、とても期待できないと思っていた
中高生が何人も手を挙げてくれたそうです。

昨年の様子から、はっきりお断りしなかったら、ほとんど決まりだな、と観念しつつ、
「足美人が見つからなかったらね。」
と、お応えしたのですが、「補欠要員・やなぎはっか」は、放免になりました。

ほ。

・・・いえいえ、「あらら、ざ~んねん。自信あったのにぃ・・・。」・・・


・・・ところが。

その数時間後、別の方からお電話をいただきました。

「復活徹夜祭のミサで、パウロの書簡を朗読する3人の1人になって下さい…。」

朗読自体は大好きです。
実は、聖書朗読は大学生のときから、行く先々の教会で、お断りしたことはありません。

ただし、そそっかしいので、朗読台に載ることが苦手なのです。
そもそも、段差があるところが苦手なのです。

聖書の1つの箇所を3人で分担して読むとのこと。
1人しか載れない朗読台を使うとしますと、
流れを乱さないように、ササッと動く必要があります。
大丈夫かな?



ドタッ、バタッ、ガタッ

・・・???


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  1. 日々のこと

神さま、ありがとう、お願い。(@゜▽゜)ノ。・:*:・゜★,。・:*:・゜☆  :: 2010/03/25(Thu)

e.jpg実は、今日は息子の卒業式です。

娘の大学は、私がときどき足を運ぶ場所の
隣にありましたので、実際に足を踏み入れ
なくても、何だかいつもお邪魔していた
ような気分でした。

ところが、息子はよくもあんな通学距離を
通ったものだとも思うのですが、
遠いこともあり、用事もありませんので、
息子の大学には入学式のとき以来、
行ったことがありません。

「私には卒業式の日で見納めになるかも。行ってもいい?」
の申し出を、息子は断固として受け入れてくれませんでした。

「僕は、別会場の大学全体の卒業式には出ないけれど、そっちならいいよ、出れば?」
息子の晴れ姿も見られない大会場までの、駅から1時間もかかろうかと思われる
だらだら、ゆるゆるの大行列を思い浮かべたら、
「だったら、うちでロザリオでも唱えていますよーーーっ
ということになりました。

晴れ姿…用意してあるスーツ姿を想像していましたのに、それは拒否。
「ねえ、バシッと決めないなら、思い切りはじけたら?
 気ぐるみファッションくらいの方が、卒業式らしいよ。
と、親の私が思わず言ってしまうほどの、失礼な(即ち半端な)普段着姿で、
息子は出かけていきました。

あ~あ!

神さま、ありがとうございます。
生きることに、まことに不器用な息子ですが、
それでも、まあ、私よりはマシな人間になってくれたのではないでしょうか。

問題は、世の中の景気とは無関係に普通の就職を望まない彼の在り方ではありますが。
神さま、どうぞ、今後とも彼をお守りください、お願いします。


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  1. 今日の想い

子どもたちから贈られたもの その14 :: 2010/03/23(Tue)

開花  連休のよく晴れた1日、
 初彼岸の父のために
 実家に墓参りに帰った。

 兄が、父と母が遺した
 さまざまを
 すっかり整理してくれて、
 母のノートを渡してくれた。

 妻業、嫁業、母親業、
 主婦業のそれぞれを
 ほぼ完ぺきに
 こなしてきた母に、

生け花以外に趣味がなかったのは、
母もまた「遊べない」人生を生き抜く人であったことを
物語っているのかもしれない。

そんな母が遺したノートには、
デイサービスに通うようになってから覚えたのか、
数は多くないけれど、俳句が記されていた。
すでに視力の障害が進んでからのノートゆえ、
「解読作業」が必要な句もあった。

そういえば、母が電話で日常の不満を訴えて来るとき、
「あまり悲しいから、こんな俳句を作ってしまった。」と
聞かされたことがあり、そのときは母に潜む意外な才に
驚いたことを覚えている。

ノートには、70歳を過ぎてなお、自分の寂しさに
周囲を巻き込まずには気がすまないような感情が、
連綿と綴られていた。
そして、母の寂しさに巻き込まれて成長した私もたいへんだったけれど、
母自身も生涯、七転八倒の苦しみを味わい続けたのを改めて感じた。

母の心は思い出の世界にまで飛んで、母の両親、すなわち私の祖父母を
懐かしむ句もいくつかあった。
母はこうして思い出や、兄に対する溺愛や、私への過剰な期待によって、
嫁いでから自分につきまとった孤独感を
何とか自分なりにコントロールし続けたのだろう。

いま、ふっと思った。
母は、確かにあの家で孤独だっただろう。
母の理想通りには決して動かず、むしろ図抜けてむずかしい性格の父と
厳しい姑との暮らしは、本当に寂しかっただろう。
…だが、それは、何も知らずにその家に生まれた私の責任ではない。
 私の責任ではないのだ。

しかし、あと10年、20年と時が過ぎて、私が心細さに占領される日が
来ないとも限らないのだ。

†主よ、私の両親をいつも顧みてください。
 両親はそれぞれに、この世で寂しさと、心の傷と、苦しみとを
 十分すぎるほどに味わいました。
 あなたのもとに召された今、この世で味わうことのなかった
 安らぎへと、私の両親を招いてください。

追記:母の手抜きなしの料理は、それはそれは美味しかったし、
   私のセーター、カーディガンなどは母の手編み、機械編みばかりで玄人はだしだった。
   残念ながら、私にはこういう「遺伝子」は受け継がれなかった。 
    

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  1. 未分類

おみ足拝借? L(゚□゚;)」 :: 2010/03/23(Tue)

カトリック教会では、今年の復活祭は4月4日ですが、その直前の1週間は
聖週間といって、イエスの受難と復活を記念して、さらなる祈りのうちに過ごします。

と、ところが…。

聖週間のうちの聖木曜日には、福音書に記されたできごとに倣って、
イエスの代役の神父様、あるいは奉仕者が、
弟子の代役の「頼まれた信者」の足を洗う洗足式があるのですが、
その「洗われ役」の1人になっていただけないか
というご依頼メールが、教会の典礼委員会から、ありました。
これ、昨年はお断りしてしまったのですが…。

以下は、そのご依頼への私からの返信です。


           ・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。★・。・。☆


( ̄▽ ̄;) え~っ!

当教会には、私の小汚い足など使わずとも、
足美人がたくさんいらっしゃるのでは。

Aさんはじめ、典礼委員会の皆さまには、いつもKYなご迷惑をかけ通しで、
お世話になってはおりますが。う~ん…、う~ん…、苦しいなあ…。(´Д`)

足美人が見つからなかったら、そして…ひび割れ踵とスワリダコ付きでも
勘弁して戴けるでしょうか?…そんな条件で。

知らんですよ~
私ではなく、他の方が見つかりますように。(>人<)ナンマイダ~


            ・。・゜★・。・。☆・゜・。・゜。・。★・。・。☆


ちなみに、洗足式のもとになったできごとは、以下の通りです。

さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が
来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。
夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、
イエスを裏切る考えを抱かせていた。
イエスは、父がすべてを御自分の手にゆだねられたこと、また、
御自分が神のもとから来て、神のもとに帰ろうとしていることを悟り、
食事の席から立ち上がって上着を脱ぎ、手ぬぐいを取って腰にまとわれた。
それから、たらいに水をくんで弟子たちの足を洗い、
腰にまとった手ぬぐいでふき始められた。
シモン・ペトロのところに来ると、
ペトロは、「主よ、あなたがわたしの足を洗ってくださるのですか」と言った。
イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、
分かるようになる」と言われた。
ペトロが、「わたしの足など、決して洗わないでください」と言うと、
イエスは、「もしわたしがあなたを洗わないなら、
あなたはわたしと何のかかわりもないことになる」と答えられた。
そこでシモン・ペトロが言った。「主よ、足だけでなく、手も頭も。」
イエスは言われた。「既に体を洗った者は、全身清いのだから、足だけ洗えばよい。
あなたがたは清いのだが、皆が清いわけではない。」
イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた。
それで、「皆が清いわけではない」と言われたのである。
                 
                            ~ヨハネ福音書 / 13章 1~11節



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  1. 日々のこと

子どもたちから贈られたもの その13 :: 2010/03/18(Thu)

東慶寺ここでも何度か、述べたことがあるかも知れない。
かつて、ある司祭が仰った。

「あなた自身の弱さ、誰にも知られたくない部分、
 決して自慢できないところ。誰かを救うのは、
 あなたの立派なところではなくて、
 そういう弱い部分である。」

そのお話を伺ってから、
自分なりに、そう心がけてきたつもりだった。

むしろ、子どものときから、周囲の大人の世間体を
気にする様子に過敏に反応してしまった私だから、
何事にもバカ正直に応えて、ほんとうに馬鹿な思いをしてきた気がする。
そういう不器用さが、われ知らず人を傷つけてもきたのだろうけれど。

だが。
「ブログでは家族ネタはご法度」を原則にしているのだけれど…。
人生の段階段階を普通に進んで、できれば他のお子さんよりも
少しでも優秀なコースを歩んで、安定した心配のない社会人になることが
最良の道なら、わが息子の変わり種コースは、教育ママに徹することが
できなかった私の弱さゆえの間違いだったのだろうか。…かもしれない。
息子は中学校から一応のカトリックの進学校に通ったけれど、母子ともども、
どうしても受験のための勉強に目の色を変えることができなかった。
面倒見の良い学校ゆえ、善き宗教教育を受けてくれたら良い、と思っていた。
母子は学校からお尻を叩かれ叩かれ、適当に「すみません」を繰り返しながら、
それでも、息子の嵐の季節を通り抜けるのに必死だった。
「企業戦士」の妻の子育ては、どうしても孤独だったかな。

同級生たちが羨ましいような大学に進学する中で、息子は美大を目指し、
3浪の果てに、もっとやりたいことができて進路変更。
息子の同級生たちだったら、3浪してまで入らないだろう大学に進んだ。
そして、常識人の父親の心配は絶えないけれど、
同級生に3年遅れて大学を卒業する今も、就活もしないで夢を追っている。
在学中は、母校の中高の経営母体の修道会の縁で、はるか南太平洋の島々に
ボランティアの旅をしたこともある。(本当なら、その国々の住人になりたいそうだ。)

しかし、他人の家庭のことを根掘り葉掘り聞き出そうとするような人にとっては、
息子が人も羨むような大学を出て、人様の尊敬を集めるような立派な進路を
歩んでいなくては、息子が長い年月を苦しんで培ってきたものなど、
価値がないのだろうな。

ところで、最近、息子のことについて、ひとりの「貴婦人」から
本当に根掘り葉掘り、尋ねられた。

なぜだろう。息子の生き方を肯定しているはずの私が、
尋ねられることに恥ずかしさを覚えている。
「この人だけには知られたくない」と、強い抵抗を覚えている。
「この人」…社会的に弱い立場にある人を人前で同情しながら、
決して相手の場所まで下りていかない人。
そういう小さな「世間の目」を、私は気にしていたわけだ。

こんな私は、息子の味方であるとは、まだまだ言えないのかもしれない。


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  1. 未分類

望み :: 2010/03/17(Wed)

ロザリオ 私は今、あの人々のために
 祈る気持ちになれないけれど、
 私の代わりに誰かが祈って
 くれるだろうから。

 
 私は今、あの人々を
 ゆるすことはできないけれど、
 天のあの方が
 ゆるしていらっしゃるはずだから。


 いまの私には分からないけれど、
 天のあの方には、
 ご計画が
 あおありになるのだろう。


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  1. 日々のポエム

正しく見る目、正しく聴く耳をお与えください。 :: 2010/03/17(Wed)

早咲き

 
  私たちは神がごらんになるように
  悪や過ちを見ることを学ぶべきだ。
  これはたしかにむずかしい。
  なぜなら私たちが当然裁いたり、
  罰したりすべきだと思う過ちの中に、
  神はまず救うべき惨めさを
  ごらんになるからだ。

    ~「まことの智にいたるまで」
    …アシジの聖フランシスコの歩み…~
      /エロワ・ルクレール著/光明社


「どうしてかな」とため息をつくときがある。
庶民の私から見たら羨ましい限りの、家柄、地位、財力、その他、
非の打ちどころのない、恵まれた環境にある大人の中のほんの一部に、
わがままを発揮せずにいられない人がいる。
が、好き勝手を言っているのに、決して、「いま」という瞬間に
満足を覚えていないことは表情から窺える。

*ルサンチマンとは、恨み、他人に負けたくない、いつも上へ上へという、
 センチメントのこと。いつも批評ばかりする人は、ルサンチマンになる。
 世の中のよいものをそのまま認めないで、皮肉、悪い心、友情のない心を
 もって人を刺す。<略>教育しないとルサンチマンに陥る。
*インテリがルサンチマンには一番危ない。批評ばかりするから。素直さが
 必要である。<略>ルサンチマンは実りを生まない。<略>
 1年に1度くらい黙想して心を鏡に映して反省する。そして、素直な心で
 社会に向かって務めを果たす。深く落ち着いて考えて、楽しく世の中を
 歩み、仕事をする。
 
     「『心だけは永遠』~ヘルマン・ホイヴェルス神父の言葉~」
               土居健郎・森田明 /ドン・ボスコ新書



やなぎはっかは、このところ、少々人間関係に疲れ気味かもしれません。
「神がごらんになるように悪や過ちを見ること」を、誰よりも学ぶべきなのは
今の私なのかもしれません。
良い目と耳が与えられますように。


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  1. 今日の想い

ありがとうございました。p(*゜▽゜*)q :: 2010/03/17(Wed)

もうすぐ皆さま、またまた失礼してしまいました。

小さい頃から、やなぎはっかは
外で思い切り遊んだことが
ありませんでした。それゆえ、
基礎体力がないのでしょう。
たった15日間の息子の入院でしたのに、
情けないことですね。
ご心配をおかけしましたが、もう、
そろそろ大丈夫だと思います。

また、息子も、痛みのない生活が
本当に嬉しいようで、退院以来、
ほぼ毎日出かけています。(;一_一)オイオイ

親子ともども、ありがとうございました。

とはいえ、教会はそろそろ4月4日の復活祭に向けて忙しくなります。
また、更新が滞りがちなるかもしれませんが、
どうぞ、よろしくお願いいたします。

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  1. 日々のこと

「臆病」にとりつかれる :: 2010/03/07(Sun)

遊歩道の春 

「この民がいけにえをささげるために
 エルサレムの主の神殿に上るなら、
 この民の心は再び彼らの主君、
 ユダの王レハブアムに向かい、
 彼らはわたしを殺して、
 ユダの王レハブアムのもとに
 帰ってしまうだろう。」
         ~列王記上12章27節~





ある友人が、自分の気づきについて語ってくれました。
「神が私たちに求めているのは、神の民を増やすことなどではなくて、
 1人1人が神に忠実であることではないか、と感じた。」と。

ああ、確かにその気になられたら、神さまは一瞬で地球上すべてを
神の民にしてしまわれるだろうと思い、神に対する「人間の分」に、私も気づかされました。

また、最近の主日のミサで、私たちの主任の神父様は
神の計画とサタンの計画について話して下さり、
毎日誘惑に遭(あ)う私たちが聖書を知らなかったら、
生きていく上の判断基準を失うというお話をして下さいました。
「この国々の一切の権力と繁栄とを与えよう。…だから、もし
 わたしを拝むなら、みんなあなたのものになる。」(ルカ4:6,7
イエスがこのとき、サタンの誘惑に従ったら、
サタンはこの国々の人々すべてを瞬時に「イエス教」の信徒にしたことでしょう。
でも、それは神のお望みではありませんでした。

そういう2つのお話に接した後で、ソロモン王の死後、
ユダ族とベニヤミン族以外の民から望まれて、北王国イスラエルの王となった
ヤロブアムについて読む機会を得ました。

神の計画に従う道を忘れ、サタンの計画に嵌(はま)まったような
ヤロブアムの弱さのうちに、人間というものが陥りがちな弱さも
見えた思いがしました。

生前のソロモン王に認められたヤロブアムは有能で、
きっと公序良俗に反するような過ちを犯さない人だったのだと思います。
しかも彼が立ち上がったのはソロモン王の圧政に苦しむ民衆のためでしたから、
純粋な心の持ち主で、正義感が強い人だったのかも知れません。
今の時代にこんな政治家がいたら、たちまち熱狂的な支持を得たことでしょう。

ところで私は、自分が完全であることにこだわってしまうときには、
物事がイメージ通りに運ばなかったりしますと、小さな失敗であるにも関わらず、
そのことで頭がいっぱいになり、自分が周囲にどんなふうに映っているのだろうか、
という不安に襲われます。周囲の人々の視線に脅えきってしまいます。
そういうときの私は、必ずと言っていいほど、
神さまという確かな御方の存在を忘れています。
無いに等しい自分の知恵を絞り出し、それに頼って失敗に次ぐ失敗を繰り返します。

このときのヤロブアムの愚かな行いに、そんなときの自分を重ねました。

ヤロブアムに対して、神は約束されました。
神の戒めに従い、神の道を歩み、神の目にかなう正しいことを行い、
掟と戒めを守ったなら、ヤロブアムは神の栄光に与れたはずでした。

私たちが間違いのない道を歩むための「方法」は、
こんなに単純だということが示されているのに、
この単純な道を完全に歩むことがいかに難しいかをつくづく感じました。


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  1. 今日の想い

皆さま、ご無沙汰しております。ありがとう。 :: 2010/03/01(Mon)

アリス東京ドームコンサート 2010.2.28. 皆さま、ご無沙汰しております。
 お休みさせていただいている間にも、
 皆さまからあたたかいお言葉をいただき、
 心から感謝しております。
 
 実は最近、息子が椎間板ヘルニアの
 手術を受けまして、まだ入院中です。
 息子の入院の準備、
 教会のちょこっとしたお手伝いなどで、
 ここ暫く、じっとしている時間が取れずに、
 ブログの更新が遅れておりますこと、

そして、何よりも皆さまのブログへのご訪問ができないでおりますこと、ごめんなさい。

おかげさまで息子の手術は何もかも予定通りに進み、順調に回復しております。

また、私の二十肩^_^;も、今のところは
内服薬と湿布だけでおとなしくしてくれております。
このことにつきましても、皆さまがお心にかけてくださいまして、
つくづくインターネットのありがたさを感じました。
ありがとうございます。
でも、あるブロガーさんから注射の効果はてきめんだと教えていただきましたので、
次にまた痛くなったら、そのお言葉に従いたいと思います。

そんなさ中ではありましたが、
中学時代以来のペンフレンドが、
昨日東京ドームで開かれた、アリスのコンサート
2人分のチケットを苦労して手に入れてくれて、その上、忙しい仕事をやりくりして
瀬戸内海に面した町からはるばると上京してくれました。

彼女は、アリスが全国区になるずっと前からのファンでしたが、
私は、谷村新司さんの言葉を借りれば、昨日が「初・生アリス」
アリスがもう再結成されないというのが本当なら、最初で最後のアリス・コンサートでした。
今まで、1度も行こうとしなかったなんて、もったいないことをしていたもんだ、と感じました。

3人合わせて182歳。相変わらずの力強い、確かな歌声。間に30分の休憩はありましたが、
開演してから5時間近くの公演だったような・・・。
182歳・・・大丈夫かなあ、アリスのみなさんは、今ごろ・・・。(*^。^*)

「始まりがあれば終わりがある。終わりがあればまた次の出会いがある。」
という、コンサート終盤の谷村さんらしい言葉が印象的でした。

さあ、そろそろ息子が入院している病院の面会時間が近づいてきました。
洗濯物の交換会^_^;に行ってまいります。

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テーマ:日記 - ジャンル:学問・文化・芸術

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